人事異動の種類の中に「出向」と呼ばれるものがあります。
この出向は
「労働者が自己の雇用先の企業に在籍のまま、他の企業の事業所において相当長期間にわたって当該他の企業の業務に従事すること」
出典:菅野和夫著「労働法(第8版)」弘文堂、415頁より引用
などと定義されますが、たとえば甲社で働くAさんが、甲社から「3年間乙社で働いてよ」と命じられて、社員としての籍を甲社に残したままの状態で3年間、乙社で乙社の社員として労務を提供し就労するような人事異動がこれにあたります。
このような出向を命じられ、その会社の出向命令に合理性がある場合、労働者はその命令にしたがって出向先の会社に出向しなければなりませんが(※詳細は→人事異動における出向命令は拒否できるか)、そこで問題になるのが、その出向期間中に賃金の未払い(不払い)が生じたような場合です。
今説明したように、出向は相当の長期間、社員として在籍する会社とは全く別の会社で、その別の会社の従業員として勤務することになりますが、その長期にわたる出向期間中に出向先や出向元の会社の業績が悪化し賃金の支払いが滞ることもあり得る話ですし、そうでなくても出向元や出向先となる別の会社がブラック体質を持った会社であることもあるかもしれません。
しかし、出向元の会社に社員としての籍を残しながら全く別の会社においてその別の会社の社員として労務を提供するという出向独特の特徴を考えると、その出向期間中に生じた未払い(不払い)分の給料を出向元と出向先のどちらにどのようにして請求すればよいのか、判然としない部分があります。
では、実際に出向期間中に賃金の未払い(不払い)が生じた場合、具体的にどのようにどのような手順で請求すればよいのでしょうか。
未払い(不払い)分の賃金を出向元と出向先のどちらの会社に請求するのか
まず、出向期間中の給料(賃金)の未払い(不払い)が生じた場合に、その未払い分を出向元と出向先のどちらの会社に請求すればよいかという点が問題となりますが、これはその出向に関して出向元と出向先の会社で具体的にどのような賃金支払いの処理方法で合意しているのかという点で結論が異なるので一概には判断できません。
この点については『出向期間中の給料未払い、請求する相手の会社は出向元か出向先か』のページでも詳しく解説していますが、出向期間中の給料(賃金)の支払い方法については、「出向元」が支払うとするもの(または出向元が支払うものの出向先が自社の分担分を出向元に支払うもの)としたり、「出向先」が支払うもの(または出向先が支払うものの出向元における勤務の場合との差額を出向元が補償するもの)とする処理方法を選択する場合もあり、その処理方法が出向のケースによって異なるからです。
ですから、出向期間中に発生した未払い(不払い)分の賃金についても、その出向期間中の賃金の支払いが「出向元」の会社が負担するという処理方針になっている場合には「出向元」の会社に、「出向先」の会社が負担するという処理方針になっている場合は「出向先」の会社に対して行う必要があるということになります。
賃金の支払いに関する処理方法はどうやって確認すればよいか
この点、出向期間中の賃金の支払方法について「出向元」と「出向先」のどちらの会社が支払うことになっているのかという点を確認する方法・手段が問題となりますが、一般的には入社する際に会社(出向元の会社)から交付を受けた雇用契約書(労働契約書)や労働条件通知書であったり、その会社(出向元の会社)の就業規則や労働協約であったり、出向を命じられた際に出向元の会社との間で合意した出向に関する合意事項が記載された書面などを確認することになるでしょう。
なぜなら『人事異動における出向命令は拒否できるか』のページなどでも説明したように、会社が労働者に出向を命じる場合には、これらの書面に出向に関する基本的な事項が明記され会社の出向命令権が雇用契約(労働契約)の内容となっていることが必要となりますが、出向期間中の賃金の支払い方法についてもその出向に関する基本的な事項としてそれらの書面に記載されているのが通常だからです。
ですから、出向期間中の賃金の支払いが未払い(不払い)になっている場合には、これらの書面を探してその内容を確認し、賃金の支払いが「出向元」と「出向先」のどちらの会社が負担することになっているのかを確認することが必要となります。
出向期間中の給料・賃金に未払い(不払い)が生じた場合の対処法
以上のような書類等を確認することで出向期間中に生じた未払い(不払い)分の賃金の請求先が「出向元」または「出向先」のいずれかに特定できれば、その一方の会社に対して未払い(不払い)分の賃金を請求することになります。
その場合、具体的な方法としては、以下のような方法が考えられます。
(1)請求書を作成し出向元または出向先の会社に送付する
出向先で勤務している出向期間中に賃金の未払いが生じた場合は、その未払い(不払い)分の賃金について請求する書面を作成し、会社に送付してみるというのも一つの対処法として有効です。
口頭で「未払い分の給料を支払え」と請求しても未払いを起こしている会社が素直に支払う可能性は低いですが、書面を作成し文書の形で正式に請求すれば、将来的に裁判を起こされたり行政機関に告発されることを警戒して会社がそれまでの態度を改め、未払い(不払い)分の賃金の支払いに応じることもあるからです。
この場合、その作成した書面の送付先が問題となりますが、先ほども説明したように出向期間中の賃金の支払いについては出向元と出向先の会社の間で支払方法についてそのどちらか一方に合意するのが一般的ですので、出向期間中の賃金の支払い義務が「出向先」が負担すると定められている場合は「出向先」へ、「出向元」と定められている場合は「出向元」の会社に対して送付することになります。
なお、この場合に会社に送付する請求書の文面は以下のようなもので差し支えないでしょう。
ア)出向元の会社が出向期間中の賃金を支払うことになっている場合
甲 株式会社
代表取締役 ○○ ○○ 殿
未払い分の賃金に関する請求書
私は、〇年〇月から、貴社の出向命令に従い、乙株式会社に出向しておりますが、先月から賃金の支払いを受けておりません。
この賃金の未払いについて貴社は、出向期間中の賃金は出向先の乙社がその支払い義務を負っている旨主張しておりますが、貴社に入社する際に貴社から交付を受けた雇用契約書や出向を命じられた際に貴社との間で取り交わした出向に関する合意書では、出向期間中の賃金については「会社が直接出向者に支払う」旨の記載がありますので出向元となる貴社がその支払い義務を負うのは明らかと言えます。
したがって、貴社は先月支払い分の賃金からその支払いを遅滞していることになりますので、直ちに未払い分の賃金を支払うよう請求いたします。
以上
〇年〇月〇日
〇県〇市〇町〇丁目〇番〇号○○マンション〇号室
○○ ○○ ㊞
イ)出向先の会社が 出向期間中の賃金を支払うことになっている場合
乙 株式会社
代表取締役 ○○ ○○ 殿
未払い分の給与に関する請求書
私は、〇年〇月から、甲社の出向命令に従い、貴社に出向しておりますが、先月から給与の支払いを受けておりません。
この給料の未払いについて貴社は、出向期間中の賃金は出向元の甲社がその支払い義務を負っている旨主張しておりますが、甲社の就業規則や甲社から出向を命じられた際に甲社との間で取り交わした出向に関する合意書では、出向期間中の賃金については「出向先の乙社が直接出向者に支払う」旨の記載がありますので、貴社と甲社の間では、出向期間中の賃金について貴社がその支払い義務を負担する処理方法で合意されているのは明らかと言えます。
したがって、貴社は先月支払い分の給与からその支払いを遅滞していることになりますので、直ちに未払い分の給料を支払うよう請求いたします。
以上
〇年〇月〇日
〇県〇市〇町〇丁目〇番〇号○○マンション〇号室
○○ ○○ ㊞
(2)労働基準監督署に労働基準法違反の申告を行う
(1)のような請求書を出向元または出向先の会社に送付しても貴社が未払い(不払い)分の賃金の支払いを改善しない場合は、労働基準監督署に労働基準法違反の申告を行うことも考えた方がよいかもしれません。
労働基準監督署は労働基準法やそれに関連する法律に違反する事業主を監督する行政機関ですが、老基準法に違反する事業主がある場合、そこで働く労働者は労働基準監督署に対してその事業者の違法行為を申告することが法律で認められています(労働基準法第104条1項)。
【労働基準法第104条1項】
事業場に、この法律又はこの法律に基いて発する命令に違反する事実がある場合においては、労働者は、その事実を行政官庁又は労働基準監督官に申告することができる。
この点、出向命令に従って出向先で就労している労働者がその出向期間中の賃金の支払いを受けられないという状況も、賃金の直接払いを規定した労働基準法第24条に違反することになりますが、出向期間中の賃金の支払いに関する処理方法が出向元の会社が支払うことになっている場合は出向元の会社が、出向先の会社が支払うことになっている場合は出向先の会社が、それぞれ労働基準法違反を犯していることになりますので、労働者はその賃金の未払い(不払い)分という労働基準法違反行為について、出向元または出向先の会社を労度基準監督署に申告することが可能となります。
【労働基準法第24条】
第1項 賃金は、通貨で、直接労働者に、その全額を支払わなければならない。(但書省略)。
第2項 賃金は、毎月一回以上、一定の期日を定めて支払わなければならない。(但書省略)。
仮に労働者がこの申告を行い、労働基準監督署が監督権限を行使して臨検調査等を行い、その賃金の未払い(不払い)を確認すれば、監督署から是正勧告等が出されることで会社が未払い(不払い)状態を改善することも期待できますから、労働基準監督署への申告も一つの解決方法に挙げられるといえるでしょう。
なお、この場合に労働基準法違反に提出する申告書の記載例は以下のようになります。
ウ)出向元の会社が 出向期間中の賃金を支払うことになっている場合の労働基準監督署への申告書の記載例
労働基準法違反に関する申告書
(労働基準法第104条1項に基づく)
○年〇月〇日
○○ 労働基準監督署長 殿
申告者
郵便〒:***-****
住 所:東京都〇〇区○○一丁目〇番〇号○○マンション〇号室
氏 名:申告 太郎
電 話:080-****-****
違反者
郵便〒:***-****
所在地:東京都〇区〇丁目〇番〇号
名 称:株式会社 甲
代表者:代表取締役 ○○ ○○
電 話:03-****-****
申告者と違反者の関係
入社日:〇年〇月〇日
契 約:期間の定めのない雇用契約(←注1)
役 職:特になし
職 種:一般事務
労働基準法第104条1項に基づく申告
申告者は、違反者における下記労働基準法等に違反する行為につき、適切な調査及び監督権限の行使を求めます。
記
関係する労働基準法等の条項等
労働基準法24条
違反者が労働基準法等に違反する具体的な事実等
・申告者は〇年〇月から違反者の指示に従い、違反者の関連会社である株式会社乙(以下「乙社」という)に出向し乙社において勤務しているが、同年〇月分(支払期日は翌月の25日)以降の賃金の支払いを受けていない。
・出向期間中の賃金の支払いについては、出向元となる違反者と出向先となる乙社の間で「出向期間中の賃金は出向元である株式会社甲(違反者)が直接支払う」旨の処理方針が合意されており、この処理方法は申告者が入社した際に違反者から交付を受けた雇用契約書(労働契約書)や違反者から出向を命じられた際に違反者との間で取り交わした出向に関する合意書においても同様に記載されている。
・これらの事実にかんがみれば乙社において就労している申告者の出向期間中の賃金の支払い義務は労働契約上出向元となる違反者が負担することは明らかであるが、違反者はそれを怠り、支払いを拒否し続けている。
添付書類等
・雇用契約書の写し……1通(←注2)
・出向に関する合意書の写し……1通(←注2)
備考
違反者または出向先の株式会社乙に本件申告を行ったことが知れると、出向先の乙社または出向期間が満了した後の違反者(甲社)で不当な扱いを受ける恐れがあるため、違反者および出向先の乙社には本件申告を行ったことを告知しないよう配慮を求める。(←注3)
以上
エ)出向先の会社が 出向期間中の賃金を支払うことになっている場合の労働基準監督署への申告書の記載例
労働基準法違反に関する申告書
(労働基準法第104条1項に基づく)
○年〇月〇日
○○ 労働基準監督署長 殿
申告者
郵便〒:***-****
住 所:東京都〇〇区○○二丁目〇番〇号○○マンション〇号室
氏 名:申告 次郎
電 話:080-****-****
違反者
郵便〒:***-****
所在地:東京都〇区〇丁目〇番〇号
名 称:株式会社 乙
代表者:代表取締役 ○○ ○○
電 話:03-****-****
申告者と違反者の関係
入社日:〇年〇月〇日
契 約:株式会社甲(期間の定めのない雇用契約)から3年間の出向命令を受け勤務
役 職:特になし
職 種:電子部品設計
労働基準法第104条1項に基づく申告
申告者は、違反者における下記労働基準法等に違反する行為につき、適切な調査及び監督権限の行使を求めます。
記
関係する労働基準法等の条項等
労働基準法24条
違反者が労働基準法等に違反する具体的な事実等
・申告者は〇年〇月から株式会社甲(以下「甲社」という)の指示に従い、違反者に出向し違反者の社員として勤務しているが、同年〇月分(支払期日は翌月の25日)以降の賃金の支払いを受けていない。
・出向期間中の賃金の支払いについては、出向元の甲社と違反者との間で「出向期間中の賃金は出向先である株式会社乙(違反者)が直接支払う」旨の処理方法が合意されており、この処理方法は申告者が入社した甲社の就業規則、また申告者が甲社から出向を命じられた際に甲社との間で取り交わした出向に関する合意書においても同様に記載されている。
・これらの事実にかんがみれば違反者に出向して違反者の下で就労している申告者の出向期間中の賃金の支払い義務は労働契約上出向先の違反者が負担することは明らかであるが、違反者はそれを怠り、支払いを拒否し続けている。
添付書類等
・出向に関する合意書の写し……1通(←注2)
備考
出向元の甲社または出向先となる違反者に本件申告を行ったことが知れると、出向先の違反者または出向期間が満了した後の甲社で不当な扱いを受ける恐れがあるため、違反者および出向元の甲社には本件申告を行ったことを告知しないよう配慮を求める。(←注3)
以上
(3)労働局に個別紛争解決援助(またはあっせん)の申し立てを行う
(2)のように労働基準監督署に労働基準法違反の申告を行っても出向元または出向先の会社が未払い(不払い)分の賃金を支払わない場合は、労働局に個別労働関係紛争解決援助または”あっせん”の申し立てをしてみるのも解決方法の一つとして有効です。
労働局では事業者とそこに勤務する労働者との間で生じた紛争の解決を図るため、個別紛争解決援助の手続きを行っており、そこではあっせん委員によるあっせん手続きも利用できますから、この労働局の紛争解決手続きを利用することで労働局の関与の下で未払い(不払い)分の賃金に関するトラブルの解決を図ることも期待できるからです。
なお、この労働局の手続きについては『労働局の紛争解決援助(助言・指導・あっせん)手続の利用手順』のページで詳しく解説しています。
(4)その他の対処法
以上の外の解決手段としては、各都道府県やその労働委員会が主催する”あっせん”の手続きを利用したり、弁護士会や司法書士会が主催するADRを利用したり、弁護士(または司法書士)に個別に相談・依頼して裁判や裁判所の調停手続きを利用して解決を図る手段もあります。
なお、これらの解決手段については以下のページを参考にしてください。