人事異動のうち、今勤務している会社に従業員としての籍を置いたまま、一定の期間その別の会社の社員として就労させられる形態のものが「出向」と呼ばれます。
たとえば、A社に勤務するXさんがA社から「3年間B社で働いてよ」と言われ、A社の社員としての籍をA社に残したまま、B社の社員としてB社に出社しB社の指揮命令に従ってB社のために働くようなケースがこれに当たります。
このような出向は、それを命じられた労働者が労働力を提供する会社自体が全く別の会社に変更されることになるため、労働者にとっては大きなストレスを生じうるものです。
そのため、過去の判例では、会社が労働者に出向を命じるためには、単に雇用契約書(労働契約書)や就業規則等に「会社は出向を命じることができる」という規定が存在するだけでは足りず、「出向先での賃金などの労働条件」「各種出向手当等の労働条件」「昇格・昇給等の査定その他処遇」「出向の期間」「復帰の仕方」など出向に関する基本的な事項が具体的に規定されていることを要求しています(※参考判例→新日本製鐵事件:最高裁平成15年4月18日)。
単に「会社は出向を命じることができる」という規定があるだけで出向命令を認めてしまうと、労働者が出向先の労働条件等を詳しく知らないまま出向を強制され出向先で不利益な条件で働かせられてしまう可能性があるため、そのような出向に関する基本的な事項が明確に会社と労働者との間であらかじめ合意されていない限り、会社は労働者の同意がない限り一方的に出向を命じることができない取扱いにしているのです(※詳細は→人事異動における出向命令は拒否できるか)。
ところで、判例がこのような判断基準をとっていて、労働者が出向命令を自由に拒否できる場合であったとしても、労働者が「出向に応じたい」と思うのであれば会社の出向命令に従って出向を受け入れても構いません。
このような判例の判断基準はあくまでも労働者の保護のために用いられますから、出向命令を受ける労働者が会社の出向命令を受け入れるというのであれば、それを否定する必要はないからです。
ただし、その場合であっても会社の出向命令が適正になされているのかという点を十分に確認することを忘れないようにしなければなりません。
会社によっては、出向命令を出す際に説明した範囲を超えて、実際には労働者に不利益な出向を命じ、後になって労働者がトラブルに巻き込まれることもあるからです。
では、労働者が会社からの出向命令に応じる場合、具体的にどのようなトラブルに巻き込まれる危険があるのでしょうか。
また、そのようなトラブルを回避するためには、具体的にどのような点に注意すればよいのでしょうか。
出向命令で発生しうる会社とのトラブルの具体例
先ほど説明したように、たとえ雇用契約書(労働契約書)や就業規則などにあらかじめ「会社は出向を命じることができる」という規定があったとしても、「出向先での賃金などの労働条件」「各種出向手当等の労働条件」「昇格・昇給等の査定その他処遇」「出向の期間」「復帰の仕方」など出向に関する基本的な事項が具体的に規定されていない場合には、労働者は使用者から命じられた出向命令を拒否することができますが、その場合であっても労働者が自らの自由意思で出向命令を受け入れて出向に応じることは可能です。
ただし、以下のようなトラブルに巻き込まれるケースが場合によっては生じうると考えられますので、仮に出向を承諾する場合であってもその点を十分に意識して承諾するかしないか判断する必要があります。
(1)出向先での労働時間や賃金、残業代、有給や産休育休など労働条件に関する事項が当初聞いていたものと異なるケース
労働者が出向に応じた際に生じやすいトラブルの典型として、出向先での労働時間や賃金・残業代、休憩時間や休日、有給休暇、育児休暇や産休、その他の労働条件などに関する事項が当初聞いていたものと異なることであとで会社とトラブルになるようなケースです。
たとえば、出向を打診された時の話では「出向先の賃金と昇給基準は今の賃金基準と同じだよ」と聞かされ雇用契約書(労働契約書)や就業規則にも「出向先の賃金は出向前と変更ない」と規定されていたにもかかわらず、いざ出向に応じて出向先で勤務してみると賃金が減額されてしまったというようなケースです。
また、出向前は出向後も「有給休暇は年20日」と聞いていたのに、出向先では「年10日」しか与えられなかったりというトラブルもあるかもしれません。
(2)出向手当が出るといわれていたのに出してもらえないケース
出向を命じられた際は「出向期間は出向手当が月あたり〇円つくよ」と言われていたにもかかわらず、実際に出向してみると出向手当がつかなかったり当初聞いていた金額より少ないといったことでトラブルになるケースもあるようです。
(3)出向期間中の昇進等の評価に関する
出向を命じられた際は「出向に応じれば昇進に有利だ」と聞かされていたのに出向しても査定の評価に影響がなかったといったトラブルも発生しているようです。
(4)出向期間が当初聞いていた期間と異なるケース
また、出向前は「出向期間は最長でも3年」と聞かされ、雇用契約書(労働契約書)や就業規則にもそのように規定されていたにもかかわらず、出向から3年たっても出向元に復帰できないようなトラブルも見受けられます。
(5)出向が終了し出向元の会社に復帰したときの待遇が当初聞いていたものと異なるケース
出向の打診を受けた際は出向後の昇進や昇給、あるいは希望部署への転進(例えば支店から本社への栄転など)が約束されていたのに、いざ出向が終わって復帰してもそれが実現しなかったというようなトラブルも生じているようです。
出向に関して会社とトラブルにならないようにするための対処法
会社からの出向命令を受け入れて出向に応じる場合でも、以上のようなトラブルに巻き込まれる可能性は少なからずあるのが実情ですので、そのようなトラブルに巻き込まれないようにするために、あらかじめ対処しておくことも必要です。
具体的には、以下の2つの点に注意して出向命令に承諾の意思表示をすることを心がけておいた方がよいでしょう。
(1)雇用契約書(労働契約書)や就業規則等に規定されている出向に関する基本的な事項の範囲内での出向か確認すること
上記のようなトラブルに巻き込まれないようにするための対処法としては、まず入社する際に会社から交付を受けた雇用契約書(労働契約書)や労働条件通知書、あるいは会社に備え付けてある就業規則や労働組合が会社と合意した労働協約を確認することが必要となります。
それらの書類等の規定をチェックし、出向命令によって生じる労働条件の変更や出向によって生じうる影響がそれらの書類等に規定されている内容を超えないものであることを確認するのです。
出向を命じられるに際して会社から告知を受けた出向に関する事項が、それらの書類等に規定された内容を超えないものであるのなら会社の命じる出向はあらかじめ雇用契約(労働契約)で合意された内容を超えないので、将来的にトラブルに巻き込まれるリスクも少なくなるでしょう。
しかし、会社から告知を受けた出向に関する事項がそれらの書類に規定された内容を超えている場合は、会社があらかじめ雇用契約(労働契約)で合意された範囲を超えて労働者に出向を強要し労働者が気付かない状況でひそかに労働条件を不利益に変更しようとしていることになりますから、将来的にトラブルに発展するリスクも大きくなるからです。
たとえば、入社する際に会社から交付を受けた雇用契約書(労働契約書)に出向先で生じた労働災害に関して
「出向先で生じた労働災害等の保障は出向先の規定によるが、出向先の保障が(出向元の)会社の基準を下回る場合は、(出向元の)会社がその差額を補填する」
というような規定が存在しているにも関わらず、出向を命じられた際に会社から
「出向先で生じた労働災害の保障は出向先の規定による」
と説明されたような場合には、万が一出向先で労働災害にあった場合に会社から受けられる保障が、出向しない場合と比較して少なくなってしまいますから、あらかじめ雇用契約(労働契約)で合意した労働条件が、出向によって引き下げられてしまうことになり、将来的にトラブルに発展する可能性があるといえます。
また、たとえば労働者に周知されている会社の就業規則に
「出向先の賃金は(出向元の)会社の基準により会社が計算し、会社が直接、出向者に支給する」
と規定されているにもかかわらず、出向を命じられた際は
「出向先での賃金は出向先の基準に従い出向先の会社が支給する」
と説明されたようなケースでは、仮に出向先の会社が今の(出向元の)会社より賃金が低い場合には、当初雇用契約(労働契約)で合意した内容の範囲を超えて、出向によって賃金が強制的に引き下げられてしまうことになりトラブルになってしまうでしょう。
このように、会社によっては出向を命じる際に、あらかじめ雇用契約(労働契約)で合意した範囲を越えて出向を命じ、労働者が気付かないうちに「こっそり」労働条件を不利益に変更してしまおうとするケースもあるのが実情です。
ですから、このようなトラブルを避けるため、会社から出向を命じられた場合は、その命じられた出向の内容が、あらかじめ雇用契約(労働契約)で合意した内容、すなわち雇用契約書(労働契約書)や労働条件通知書あるいは就業規則や労働協約で規定された内容を越えていないことをそれらの書類をチェックすることで確認することが必要になると言えるのです。
(2)出向後の労働条件等について書面で合意しておくこと
また、このようなトラブルを避けるためには、会社から出向を命じられた際に、その出向後の待遇や労働条件、復帰に関する事項などを詳細に確認し、そのすべての事項を「書面」の形で文書として残しておくことを忘れないようにすることも重要です。
出向を命じられた際に口頭で出向先の労働条件や待遇等の説明を受けていただけの場合は、いざ出向先での待遇等が当初説明を受けていた内容と異なる場合であっても、会社から「そんな説明してないよ」と言われてしまえば終わりです。口頭で告知されていた事項を証明することはできないからです。
しかし、出向を命じられた際の内容を書面にし保存している場合には、その書面を証拠として「出向の説明をする際に○○で合意してたでしょ?」と会社に対して当初の説明通りの出向先での待遇を求めることができます。
ですから、出向を命じられた場合は、その際に説明を受けた出向先・出向中・出向が終わって復帰する際の細かな待遇等のすべてを書面で合意できるよう、会社に対して求めるようにしておくことが必要といえます。