ごく稀に、就業規則の規定を勝手に変更し、従業員の給料を引き下げてしまう会社があります。
例えば、勤続年数によって「勤続3年までは10級」「勤続3年以上5年未満で9級」などと労働者に等級が付与されその等級ごとに賃金の総額が決められている会社で、会社が就業規則を勝手に変更し、「勤続5年までは10級」と変更してしまうようなケースです。
このようなケースでは、変更前であれば入社から3年経過した労働者は9級の賃金額を受領出来ていたにもかかわらず、変更後は3年経っても5年が経過するまでは9級の賃金額に据え置かれることになりますから、労働者は本人が知らない間に会社の勝手な就業規則の変更によって労働条件を不当に引き下げられてしまうことになり不都合とも思えます。
では、このように会社が労働者の同意を得ずに勝手に就業規則を変更し賃金を引き下げてしまった場合、労働者はその引き下げられた賃金額を受け入れるしかないのでしょうか?
就業規則の変更による給料の引き下げに労働者が同意していない場合には、その変更は「無効」になるのが基本
このように、会社が勝手に就業規則を変更することによって労働者の賃金を引き下げる事例があるわけですが、このような賃金の引き下げは基本的には「無効」と考えて差し支えありません。
なぜなら、法律では、会社が労働者の合意を得ることなく就業規則の規定を「労働者の不利益に」変更することが禁じられているからです(労働契約法9条)。
【労働契約法9条】
使用者は、労働者と合意することなく、就業規則を変更することにより、労働者の不利益に労働契約の内容である労働条件を変更することはできない。ただし、次条の場合は、この限りでない。
賃金を「引き下げ」ることは当然その引き下げの対象となる労働者の「労働条件を引き下げ」ることになりますから、その「労働条件の引き下げ」につながるような就業規則の変更は、その「労働条件の引き下げ」によって賃金が引き下げられてしまう労働者の同意がない限りできないわけです。
仮に労働者の同意がない状態で就業規則を変更した場合には、その変更後の就業規則の規定はその変更によって労働条件が引き下げられた労働者には影響を及ぼしませんので、その労働者にとっては「無効」になるといえます。
ですから、会社が勝手に就業規則を変更して賃金が引き下げられてしまったとしても、そのような就業規則は無視して変更前の賃金を会社に対して請求できるということになるのです。
たとえば、先ほど挙げた「勤続3年までは10級」「勤続3年以上5年未満で9級」と就業規則に規定されている会社で「勤続5年までは10級」と変更されてしまったようなケースでは、その就業規則の変更に同意していない勤続3年以上5年未満の労働者は、就業規則が変更される前の「9級」の賃金を会社に対して請求できるということになります。
労働契約法10条の要件を満たす場合には、労働者の同意のない就業規則の変更による賃金の引き下げが例外的に「有効」となる
以上で説明したように、労働契約法の9条では使用者(雇い主)が労働者の同意を得ずに就業規則の規定を変更して労働者の労働条件を不利益に変更することを禁止していますから、仮に会社が勝手に就業規則を変更して労働条件を引き下げてしまったとしても、その就業規則の変更によって賃金を引き下げられてしまった労働者は、変更される前の就業規則の規定に基づいて従前の賃金の支払いを請求できるということになります。
もっともこれはあくまでも原則的にはそのように考えられるということであって、例外的に会社が勝手に就業規則を変更することが認められてしまう場合があります。
具体的には労働契約法10条で定められた要件を満たすような場合です。
先ほど挙げた労働契約法9条を見ても分かるように9条では「ただし、次条の場合は、この限りでない。」と規定されていますので、10条に定められた要件を充足する場合には、会社が勝手に就業規則を変更し労働条件を引き下げてしまうことも有効と認められてしまうことになります。
【労働契約法10条】
使用者が就業規則の変更により労働条件を変更する場合において、変更後の就業規則を労働者に周知させ、かつ、就業規則の変更が、労働者の受ける不利益の程度、労働条件の変更の必要性、変更後の就業規則の内容の相当性、労働組合等との交渉の状況その他の就業規則の変更に係る事情に照らして合理的なものであるときは、労働契約の内容である労働条件は、当該変更後の就業規則に定めるところによるものとする。ただし、労働契約において、労働者及び使用者が就業規則の変更によっては変更されない労働条件として合意していた部分については、第十二条に該当する場合を除き、この限りでない。
ですから、会社が勝手に就業規則を変更し賃金を引き下げてしまった場合には、その賃金の引き下げにかかる就業規則の変更が「労働契約法10条の要件を満たしているか」という点を確認することがまず必要になります。
仮にその賃金の引き下げにかかる就業規則の変更が「労働契約法10条の要件を満たしている」ものである場合には会社に対して変更前の賃金を求めることはできませんが、「労働契約法10条の要件を満たしていない」と判断できる場合には、会社に対して「就業規則の変更される前の給料を支払え!」と請求することができるからです。
労働者の同意のない就業規則の変更が労働契約法10条の要件を満たすか否かの判断基準
では、会社の就業規則の変更が労働契約法10条の要件を満たすか否かを具体的にどのように判断するか、という点が問題となりますが、労働契約法10条はその要件として以下の2つ挙げていますので、その2つの要件をどちらも充足するか否か、という点をまず確認する必要があります。
【労働者の同意のない就業規則の変更が有効となるための要件】
① 変更後の就業規則を労働者に周知させていたこと
② 就業規則の変更が、労働者の受ける不利益の程度、労働条件の変更の必要性、変更後の就業規則の内容の相当性、労働組合等との交渉の状況その他の就業規則の変更に係る事情に照らして合理的なものであったこと
①と②の両方が満たされる場合に限って労働者の同意のない就業規則の変更が「有効」となる
この点、②の「就業規則の変更が合理的であったか」という点は弁護士など法律の専門家でないと判断が難しい面がありますので、給料を引き下げられた労働者としては、まず①の「変更後の就業規則が労働者に周知されていたか」という点を確認することから始めるのが適当です。
なぜなら、もし仮に①の「周知」がなされていなかったと認められる場合には、それだけで労働契約法10条の要件を満たさないことが明らかとなるからです。
変更後の就業規則が労働者に「周知」されていないのであれば、原則どおり労働契約法9条の規定に基づいてその就業規則の変更は「無効」と判断されることになるでしょう。
その反対に、もしその変更後の就業規則が労働者に「周知されていた」という場合には、法律の素人には対処が困難と言えますので、その時点で自分で解決することは諦めて直ちに弁護士か司法書士に相談するようすればよいと思います。
ですから、会社が就業規則を勝手に変更または新設して労働条件が不利益に変更された場合には、その使用者(雇い主)の就業規則の変更(ないし新設)が「労働者に周知されていたか」、つまり「変更後の就業規則を労働者が会社から説明を受けた事実があるか」、という点を検証することがまず必要になります。
労働者の同意のない就業規則の変更が労働者に「周知」されていたか確認する方法は?
以上で説明したように、会社が勝手に就業規則を変更し労働者の賃金を引き下げてしまった場合には、まずその変更後の就業規則が労働者に「周知されていたか」という点を確認することが先決です。
この点、その「周知されていたか」という事実を具体的にどのように確認すればよいかが問題となりますが、この就業規則の「周知」については労働基準法の106条1項と労働基準法施行規則53条の2に以下のように規定されています。
【労働基準法106条1項】
使用者は、この法律及びこれに基づく(中略)就業規則(中略)を、常時各作業場の見やすい場所へ掲示し、又は備え付けること、書面を交付することその他の厚生労働省令で定める方法によつて、労働者に周知させなければならない。
【労働基準法施行規則52条の2】
法第106条第1項の厚生労働省令で定める方法は、次に掲げる方法とする。
- 常時各作業場の見やすい場所へ掲示し、又は備え付けること。
- 書面を労働者に交付すること。
- 磁気テープ、磁気ディスクその他これらに準ずる物に記録し、かつ、各作業場に労働者が当該記録の内容を常時確認できる機器を設置すること。
ですから、仮に会社が勝手に就業規則を変更し労働者の賃金を引き下げてしまった場合には、以下の4つの事項のすべてにおいて、その変更後の就業規則が労働者に「周知されていたか」という点を確認することが必要になると言えるでしょう。
「労働者の賃金を引き下げた変更後の就業規則」について
- その規定が記載された書面が常時各作業場の見やすい場所に掲示されていたか
- その規定が記載された書面が常時各作業場の見やすい場所に備え付けられていたか
- その規定が記載された書面の交付を受けたことがあるか
- その規定が社内のパソコンで常時閲覧可能な状態でアップロードされていたか
そして、仮に上記4つのいずれの方法でも「周知がされてなかった」というようなケースでは、たとえ会社が就業規則を変更して賃金を引き下げた場合であっても、その就業規則の変更または新設は無効であり、その労働条件の引き下げに従う必要はない、ということになります。
就業規則が変更されて給料を引き下げられてしまったときの対処法
以上の点を踏まえたうえで、実際に勤務している会社から就業規則を勝手に変更されて給料が引き下げられてしまった場合の対処法を考えてみましょう。
もっとも、先ほども述べたように、変更後の就業規則が「合理的な内容であったか否か」という点は弁護士など法律の専門家でしか判断が難しい点がありますので、ここからは変更後の就業規則が「労働者に周知されていなかった」場合の対処法に限定して解説していくことにいたします。
この点、仮に就業規則の変更が「労働者に周知されていなかった」という場合には、労働契約法10条の要件を満たしませんので、労働契約法9条の原則どおり、その「労働者の賃金を引き下げた就業規則の変更」はそれによって不利益を受ける労働者には効力を及ぼさないものと判断されますから、その就業規則の変更によって賃金を引き下げられた労働者はその「無効」を主張して従前の賃金の支払いを求めることが可能です。
(1)就業規則が変更による給料の引き下げが無効である旨記載した通知書を作成して会社に送付してみる
この場合、具体的にどのように退職するかという点が問題となりますが、その無効を主張する書面を作成し、会社に送付する方法を取るのが効果的と考えられます。
もちろん、口頭で「労働者に周知されていない変更後の就業規則は無効だ」と抗議しても構いませんが、後に裁判になったような場合には、「会社に労働者の同意のない就業規則の変更が無効であることを説明したのに応じてもらえなかった」という点を客観的証拠を提示して証明することも必要になりますので、客観的証拠の残る書面という形で申入れをしておいた方がよいと思います。
なお、その場合に会社に送付する通知書の文面は以下のようなもので差し支えありません。
○○株式会社
代表取締役 ○○ ○○ 殿
賃金の引き下げに関する就業規則の変更無効確認通知書
私は、〇年〇月〇日、貴社から、「勤続3年までは10級」とされていた就業規則第〇条〇項の規定を「勤続5年までは10級」と変更したことを理由に、これまで9級の賃金として月額金〇万円であった賃金を同年〇月支払い分から10級の月額金〇万円に引き下げる旨の通知を口頭により受けました。
しかしながら、この就業規則による労働者等級の引き下げによる賃金の実質的引き下げについて、私は一切同意した事実がなく、また、その変更後の就業規則についても、労働基準法106条1項および労働基準法施行規則52条の2の規定に基づいた、常時見やすい場所への掲示や備え付け、書面の交付、あるいはパソコン等での公開などの周知がなされた事実もございません。
この点、労働契約法10条では労働者の同意を得ずに使用者が就業規則の労働条件を不利益に変更することが例外的に有効となる場合の要件を定めていますが、そこでは変更後の就業規則を労働者に周知することが求められていますので、貴社がその周知を行った事実がない以上、当該就業規則の不利益変更は同条の要件を満たしておらず、原則どおり労働契約法9条に違反した違法な変更であると言えます。
したがって、貴社が私の同意を得ずに当該就業規則の変更を行い実質的な賃金を引き下げた行為は、労働契約法9条に違反する無効なものといえますから、当該就業規則の変更がなかったものとして、貴社は私に対し従前の9級の等級による賃金の支払い義務があることを本状をもって確認し通知いたします。
以上
〇年〇月〇日
〇県〇市〇町〇丁目〇番〇号○○マンション〇号室
○○ ○○ ㊞
(2)就業規則の変更に労基法違反があれば労働基準監督署に申告してみる
以上のような通知書等を送付しても会社が就業規則の変更による賃金の引き下げを撤回しない場合には、その使用者(雇い主)が労働基準法に違反する点について労働基準監督署に労働基準法違反の申告をしてみるというのも一つの対処法として有効かもしれません。
先ほども説明したように、労働基準法106条1項と同法施行規則52条の2では、変更した就業規則にかんしては「常時見やすい場所への掲示や備え付け」や「書面の交付」あるいは「パソコン等での公開」などが義務付けられていますから、その「周知義務」がなされていないという場合には、その点で会社側に労働基準法違反の事実があると言えます。
このような場合、労働者は労働基準監督署に使用者の労基法違反を申告し、臨検や勧告を求めることができますから、労働基準監督署に申告することによって使用者(雇い主)側に間接的にその改善を促すこともできる場合があります。
もちろん、この場合に労働基準監督署に申告できるのは、あくまでもその就業規則の「周知義務を怠っている」という事実が「労働基準法に違反する」ということであって、「賃金の引き下げ自体が違法」ということではありませんから、労働基準監督署に申告したからといって必ずしも会社側が引き下げ前の賃金を支払うとは限りません。
しかし、労働基準監督署に労働基準法違反の申告をすることで会社側が不当な就業規則の変更による賃金の引き下げ止めることも期待できますから、監督署への申告をしてみるというのも対処方法としては有効に機能すると思います。
なお、この場合に労働基準監督署に提出する申告書の文面は以下のようなもので差し支えないでしょう。
労働基準法違反に関する申告書
(労働基準法第104条1項に基づく)
○年〇月〇日
○○ 労働基準監督署長 殿
申告者
郵便〒:***-****
住 所:東京都〇〇区○○一丁目〇番〇号○○マンション〇号室
氏 名:申告 太郎
電 話:080-****-****
違反者
郵便〒:***-****
所在地:東京都〇区〇丁目〇番〇号
名 称:株式会社○○
代表者:代表取締役 ○○ ○○
電 話:03-****-****
申告者と違反者の関係
入社日:〇年〇月〇日
契 約:期間の定めのない雇用契約←※注1
役 職:特になし
職 種:一般事務
労働基準法第104条1項に基づく申告
申告者は、違反者における下記労働基準法等に違反する行為につき、適切な調査及び監督権限の行使を求めます。
記
関係する労働基準法等の条項等
労働基準法106条1項および同法施行規則53条の2
違反者が労働基準法等に違反する具体的な事実等
・違反者は、就業規則の「勤続3年までは10級」とされていた規定を「勤続5年までは10級」と変更し、それまで「9等級」として「月額17万円」の賃金の支払いを受けていた「きんぞく年以上5年未満」の申告者その他の労働者の賃金を実質的に引き下げたが、かかる就業規則の変更について不利益を受ける申告者の同意を得ていない。
・この就業規則の変更については労働契約法9条及び10条の規定から申告者及びその他の労働者への周知は不可欠となるが、違反者は労働基準法106条1項および同法施行規則53条の2の規定に基づく周知義務を怠り、申告者に一切周知させていない。
添付書類等
・特になし。←注2
備考
本件申告をしたことが違反者に知れるとハラスメント等の被害を受ける恐れがあるため違反者には申告者の氏名等を公表しないよう求める。
以上
※注1:アルバイトや契約社員など「期間の定めのある雇用契約」の場合には、「期間の定めのある雇用契約」と記載してください
※注2:会社が就業規則を周知させていない証拠があれば添付してください。
※労働基準監督署に申告したことが会社にバレても構わない場合は、「備考」の欄の一文は削除しても構いません。
(3)その他の対処法
上記のような方法で対処しても会社側が就業規則の変更による賃金の引き下げを撤回しない場合は、会社側が自社の解釈によほど自信があり労働契約法10条の要件を満たすことに確固たる確信があるか、ただ単にブラック体質を有した法律に疎い会社かのどちらかである可能性が高いと思いますので、なるべく早めに法的な手段を取って対処する方がよいでしょう。
具体的には、労働局に紛争解決援助の申し立てを行ったり、自治体や労働委員会の”あっせん”の手続きを利用したり、弁護士会や司法書士会が主催するADRを利用したり、弁護士や司法書士に依頼して裁判を行うなどする必要があると思いますが、その場合の具体的な相談先はこちらのページでまとめていますので参考にしてください。