内定を辞退する時は入社前研修の費用を返還する旨の誓約は有効か

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就職活動期間中に企業から内定を受けた場合であっても、その後の事情でやむを得ず内定を辞退しなければならないことも時にはあるかもしれませんが、内定を辞退しようとする内定者に対して企業の側が内定者向けに実施した研修費用の返還を求めてくる場合があります。

企業から内定を受けた場合、企業によっては内定者向けに研修を実施することがありますが、その研修の内容によってはそれなりの経費が掛かるものも多くあります、入社前研修を受けた内定者が入社する前に辞退してしまうと、その研修の経費が無駄になってしまいます。

そのため、企業によっては内定者に内定を出す際に「内定を辞退した場合は内定者研修の費用を返還いたします」などといった誓約書にサインさせておき、その誓約を根拠として内定を辞退した内定者に対して研修費用の返還を求める場合があるわけです。

では、実際に内定を辞退した場合において、このような研修費用の返還に関する合意があることを根拠に会社側から内定者研修の費用を請求された場合、具体的にどのように対処すればよいのでしょうか?

内定を辞退した内定者は、内定を辞退する際に受講した研修費用を支払わなければならないのでしょうか?

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内定の辞退は労働者の自由

内定を辞退した内定者が内定者研修の研修費用を使用者に返還しなければならないかという点を考える前提として、まず内定者に「内定の辞退の自由」が認められるかという点を考える必要があります。

なぜなら、内定者に内定を辞退する自由がそもそも認められないとすれば、内定を辞退する行為自体が違法性を帯びることになり、内定者研修の費用の返還も当然に肯定されるものと考えられるからです。

この点、法律上の解釈については若干の争いがありますが、一般的には内定者が内定を辞退することは自由に認められていると考えられています。

なぜなら、過去の判例でも「採用内定」は法律上「入社日を就労開始日とする始期付きの労働契約」と解釈されていますので(大日本印刷事件:最高裁昭54.7.20)、就活生が企業から内定を受けた場合はその時点で就活生と企業との間で有効に「雇用契約(労働契約)」が成立していることになり、ただ「働き始める日(就労開始日)」が入社予定日(一般的な会社では4月1日)になるだけということになるからです。

内定を受けた段階ですでに内定者と会社の間で有効に雇用契約(労働契約)が成立しているのであれば、「内定の辞退」は法的には「退職」と同じになりますが、「退職」については民法627条で2週間の予告期間を置くことで「いつでも」自由に退職の意思表示をすることが認められています。

【民法第627条1項】
当事者が雇用の期間を定めなかったときは、各当事者は、いつでも解約の申入れをすることができる。この場合において、雇用は、解約の申入れの日から二週間を経過することによって終了する。

したがって、内定者の場合も2週間の予告期間を置きさえすればいつでも「内定の辞退」ができることになり、入社予定日が到来する前の段階では実際に就労を開始していないためその2週間の予告期間を置く必要性もないことから、いつでも自由に「内定の辞退」をすることができるという結論を導き出すことができるということになるわけです。

内定を辞退する内定者に内定者研修の費用を返還しなければならない義務は発生しないのが原則

以上で説明したように、採用内定の辞退法律的に考えると「退職」と同じですから、内定者は民法627条1項の解釈によっていつでも自由に「内定の辞退」をすることができるということになります。

そこで、このページの冒頭でも問題提起したように、内定者が内定を受ける際に会社側との間で合意した「内定を辞退した場合は内定者研修の費用を返還する」旨の誓約を根拠に、内定の辞退を行うにあたって内定先の企業から内定者研修の費用の返還を求められた場合に、その費用を支払わなければならないかという点が問題を考えてみますが、結論から言うと、内定を辞退する内定者にそのような内定者研修の費用を支払わなければならない義務は発生しないのが原則的な考え方となります。

なぜなら、仮にこのような合意があったとしても、そのような合意は一般的に「違約金の定め(または損害賠償額の予定)」と解釈されますので、労働基準法16条に抵触するものとなり、労働基準法13条によって「無効」になるものと判断されるのが原則だからです。

【労働基準法16条】
使用者は、労働契約の不履行について違約金を定め、又は損害賠償額を予定する契約をしてはならない。
【労働基準法13条】
この法律で定める基準に達しない労働条件を定める労働契約は、その部分については無効とする。この場合において、無効となった部分は、この法律で定める基準による。

先ほども述べたように、採用内定は「入社予定日を就労開始日とする解約権留保付きの始期付きの労働契約」と解釈されており、内定者が企業から出された内定を受諾した時点で内定先企業との労働契約(雇用契約)は有効に成立することになりますから、内定者が内定を辞退する場合は内定者はいったん結ばれた労働契約(雇用契約)を一方的に解除して労働契約(雇用契約)を履行しないことを確定させるということになります。

また、内定者が内定を辞退する場合に内定者研修中の経費を支払うという誓約は、その誓約自体が内定という労働契約(雇用契約)の不履行に対して内定者が金銭を支払う旨の誓約となりますので、労働契約の不履行に対する「違約金の定め」ないしは「損害賠償額の予定」と理解することができるでしょう。

そうすると、そのような誓約自体が労働契約の不履行について違約金を定めたり損害賠償額を予定する契約を禁止した労働基準法16条に抵触することになり、労働基準法に違反する労働契約(雇用契約)は労働基準法13条の規定によって「無効」と判断されますから、仮に内定者が内定を受ける際に「内定を辞退する場合は内定者研修の費用を支払う」という誓約に合意していたとしてもそのような合意自体が「無効」ということになります。

ですから、仮に内定を辞退する際にそのような誓約を根拠に使用者側から内定者研修の費用の返還を求められたとしても、その費用を支払わなければならない義務はないということになるのです。

入社前研修が強制的なものではなくもっぱら内定者の利益になるだけのものである場合は会社側の請求が認められる場合もある

以上のように、たとえ内定を受けた際に「内定を辞退する場合は内定者研修の費用を返還します」という旨の誓約に合意している場合であっても、実際に内定を辞退する際に内定先の企業に対してそれまで受講した内定者研修の費用を返還しなければならないということにはならないのが原則です。

もっとも、だからといって如何なるケースでも内定を辞退する内定者が内定者研修の費用を会社に返還しなくてもよいかというと、そうでもありません。

なぜなら、内定者研修の内容がその内定先企業の業務とは一切関係が無くもっぱら内定者の利益だけを目的とするものであったり、そもそもその内定者研修への出席が強制ではなく、出席するか否かがもっぱら内定者の自由意思に委ねられているようなケースでは、内定を辞退する際に内定辞退者がそれまでに受講した内定者研修の費用を会社に返還しなければならないと判断される場合もあるからです。

そもそも、先ほど説明したように「内定を辞退する場合は内定者研修の費用を返還する」旨の誓約が労働基準法16条の「違約金の定め(または損害賠償額の予定)」と判断されて無効とされるのは、そのような「違約金の定め(または損害賠償額の予定)」を有効としてしまうと、その費用の返還ができない内定者が内定を辞退することができなくなり、自分の意思に反して就労を強制させられることになる結果、「強制労働の禁止」を規定した労働基準法5条に、ひいては「奴隷的拘束の禁止」を保障した憲法18条に反する結果となる不都合を回避するところにあります。

【労働基準法5条】
使用者は、暴行、脅迫、監禁その他精神又は身体の自由を不当に拘束する手段によって、労働者の意思に反して労働を強制してはならない。
【日本国憲法第18条】
何人も、いかなる奴隷的拘束も受けない。又、犯罪に因る処罰の場合を除いては、その意に反する苦役に服させられない。

「内定を辞退する場合は内定者研修の費用を返還する」旨の合意が「違約金の定め(または損害賠償額の予定)」に当たらないとして有効と判断されてしまうと、内定を出す企業は高額な内定者研修を内定者に受講させることで容易に内定者の内定辞退を防ぐことが可能になり内定者をその意思に反して働かせることが容易になってしまいまうでしょう。

そのため、そのような内定者の不利益を回避するために先ほど説明したようにそのような合意を「違約金の定め(または損害賠償額の予定)」と認定して無効と判断することにしているわけです。

しかし、仮にその内定者が受けた内定者研修がその内定先企業の業務とは一切関係が無くもっぱら内定者の利益だけになるものであったり、内定者研修への出席が強制されておらず受講するかしないかがもっぱら内定者が自由に選択できるようなものである場合には、内定者は内定を辞退する可能性がある場合には初めから内定者研修を受けなければよいだけといえますので、仮に「内定を辞退する場合は内定者研修の費用を返還する」旨の合意を有効と判断しても内定者の「内定の辞退の自由」を制限することにはならないことになります。

ですから、例えば家電メーカーが「スキューバダイビングのライセンス取得」を目的とした研修を内定者研修に組み込んでいるようなケースで、「設計職」で採用内定を受けた内定者が「内定を辞退する場合は内定者研修の費用を返還します」という誓約に合意したうえでその会社から採用内定を受けた場合には、その「スキューバダイビングのライセンス取得」という研修は「家電メーカーの設計」とは何ら関係がなく、もっぱら内定者の利益となるだけの研修といえますので、仮にそのようなケースで内定者が研修を受けた後に内定を辞退する際には、その誓約したとおり会社に対して「スキューバダイビングのライセンス取得」に関する研修費用の返還をしなければならないこともあるといえます。

また、例えば製薬会社から「営業職」として内定を受けた内定者が「内定を辞退する場合は内定者研修の費用を返還します」という誓約に合意したうえで内定先企業が実施する出席が完全に自由となっている「営業に関する実務研修」に自らの自由意思で出席したのちに内定を辞退するようなケースでも、その研修自体は出席が強制されるものではなく内定者の自由意思に委ねられるものといえますので、そのような研修を受講した内定辞退者に研修費用を支払わせても内定者の「内定辞退の自由」を侵害することにはなりませんから、企業から内定辞退者に対する研修費用の請求が認められることもあるといえるので注意が必要でしょう。

もっとも、とはいっても内定を出した企業が内定者研修を行う場合は、内定者としてはその内定を欠席することで入社した後に何らかの不利益(例えば他の新人と能力に差が付いたり査定に響いたりするような懸念は生じるでしょう)が及ぶのではないかと考えるのが自然ですから、このような誓約に合意したうえで内定を辞退したことを理由に会社から研修費用の返還を求められたケースが裁判で争われるような場合は、裁判所(裁判官)の方でもその点を考慮して研修出席への強制性を判断するものと考えられます。

ですから、仮に出席が完全に自由になっている研修に出席した後に内定を辞退し会社から研修期間中の経費を請求された場合であっても、安易に会社側の請求を認める必要はなく、個別具体的にそのような誓約に係る合意が労働基準法16条の「違約金の定め(または損害賠償額の予定)」に当たらないかという点を検討する必要がありますので注意が必要です。

内定を辞退した際に研修費用の返還を求められた場合の対処法

以上で説明したように、「強制労働の禁止」を規定した労働基準法5条や「奴隷的拘束の禁止」を保障した憲法18条、「退職の自由」を保障した民法等の諸規定の要請と「違約金の定め(または損害賠償額の予定)」を禁止した労働基準法16条の規定から、「内定を辞退した場合は受講した内定者研修の費用を支払う」というような誓約は「無効」と判断されますので、仮に研修費用の返還を請求されたとしても、通常はそのような請求は無視して差し支えないものと考えられます。

(※ただし、先ほども説明したように、その研修の内容が会社の業務とは無関係でもっぱら内定者の利益だけになるものであったり研修への出席が強制されたものではなく内定者の自由意思に委ねられたものである場合には、研修費用の返還に関する会社側の請求が認められる場合もあります。)

もっとも、そのような法律上の解釈を会社側が十分に理解しているとは限りませんので、会社によっては内定の辞退を申し出た内定者に対して、内定者研修の内容や研修への参加の強制の有無にかかわらず研修費用の返還を求めてくる場合もありますので、そのようなケースでは以下のような具体的な方法を取って対処する必要があります。

(1)通知書を送付して請求を拒否する

内定を辞退する際に会社から内定者研修の費用等の返還を請求されている場合においてその請求を拒否する場合は、口頭で拒否する旨告知するだけでも構いませんが、より正確を期する場合は次に挙げるような通知書を会社に提出し書面という形で正式に拒否する意思表示を行った方がよいかもしれません。


○○株式会社

代表取締役 ○○ ○○ 殿

入社前研修費用の返還義務不存在確認通知書

私は、〇年〇月〇日、貴社に対して、〇年〇月〇日付けで内定を辞退する旨記載した内定辞退の申入書を提出いたしましたが、この内定辞退の意思表示に伴い、貴社から、内定を受けた後に私が貴社から受けた内定者研修の費用として金〇万円の返還を請求されております。

この貴社からの内定者研修の費用に関する返還請求につきましては、私が貴社からの採用内定を受ける際に「内定者研修を受講した後に内定を辞退する場合は受講した内定者研修にかかる費用を全額返還します」旨記載された誓約書に署名押印しその返還を承諾したうえで貴社の内定者研修を受講した事実があることが理由になっているものと思料いたしております。

しかしながら、確かに私がそのような誓約に合意したうえで貴社の実施する内定者研修を受講したことは事実ですが、貴社の実施した内定者研修は形式的には出席が自由参加になっていても、研修に出席しないことで入社後の査定等に影響する可能性があることは社会通念上当然といえますから、実質的には出席を強制させられる研修であり、そうであれば当該研修費用の返還に関する合意は労働契約の不履行に伴う違約金の定め(または損害賠償額の予定)に他ならず労働基準法16条に違反するものであると理解しています。

したがって、かかる誓約は無効であり、私が貴社に対して、入社前研修に関する費用を返還しなければならない労働契約上または法律上の義務は存在しませんから、貴社の請求についてはその一切を拒否いたします。

以上

〇年〇月〇日

〇県〇市〇町〇丁目〇番〇号○○マンション〇号室

○○ ○○ ㊞


会社に送付する前に証拠として残すため必ずコピーを取っておくこと。

(2)労働基準監督署に労基法違反の申告を行う

先ほど述べたように、「入社前研修を受けた後に内定を辞退する場合は受講した入社前研修の費用を返還する」旨の誓約は「違約金の定め(または損害賠償額の予定)」と判断されますので、その約定自体が労働基準法16条に違反することになりますし、その誓約によって内定の辞退を制限し入社(就労)を強制する行為も「強制労働の禁止」を規定した労働基準法5条に抵触することになります。

この点、使用者が労働基準法に違反する行為を行っている場合には、労働基準法の104条において労働者から労働基準監督署に労働基準法違反の申告を行うことが認められていますから、このような案件で会社から入社前研修の費用を請求され内定の辞退を制限されている場合にも、労働基準監督署に対して労働基準法違反の申告を行うことが可能といえます(労働基準法第104条1項)。

【労働基準法第104条1項】
事業場に、この法律又はこの法律に基いて発する命令に違反する事実がある場合においては、労働者は、その事実を行政官庁又は労働基準監督官に申告することができる。

労働基準監督署に労働基準法違反の申告を行い、監督署から勧告等が出されれば、会社の方でも執拗な請求を止める可能性もありますので、会社側からの請求が止まない場合には監督署への申告も考えた方がよいのではないかと思います。

なお、この場合に労働基準監督署に提出する労基法違反の申告書は、以下のような文面で差し支えないと思います。

【労働基準法104条1項に基づく労基法違反に関する申告書の記載例】


労働基準法違反に関する申告書

(労働基準法第104条1項に基づく)

○年〇月〇日

○○ 労働基準監督署長 殿

申告者
郵便〒:***-****
住 所:東京都〇〇区○○一丁目〇番〇号○○マンション〇号室
氏 名:申告 太郎
電 話:080-****-****

違反者
郵便〒:***-****
所在地:東京都〇区〇丁目〇番〇号
名 称:株式会社○○
代表者:○○ ○○

申告者と違反者の関係
入社日:(採用内定日:〇年〇月〇日)
契 約:期間の定めのない雇用契約
役 職:特になし
職 種:営業

労働基準法第104条1項に基づく申告
申告者は、違反者における下記労働基準法等に違反する行為につき、適切な調査及び監督権限の行使を求めます。

関係する労働基準法等の条項等
労働基準法第5条および同法16条

違反者が労働基準法等に違反する具体的な事実等
・申告者は〇年〇月〇日に違反者から採用内定の通知を受けたが、その際に「入社前研修を受講した後に内定を辞退する場合には受講した研修の費用を全額返還する」旨記載された誓約書に署名押印し違反者に差し入れた。
その後申告者は〇年〇月から〇週間にわたって違反者が主催する内定者向けの研修に出席したが、その〇か月後の〇年〇月に一身上の都合から内定の辞退を決意し、〇年〇月〇日付けの内定辞退申入書を差し入れる方法によって違反者に内定辞退の意思表示を行った。
これに対して違反者は、申告者が前述した誓約に合意した事実があることを理由として申告者に対し申告者が受講した内定者向けの研修費用の合計額金〇万円を支払うよう申告者に請求している。
しかしながら、かかる誓約は労働基準法16条が禁止した違約金の定め(または損害賠償額の予定)にあたり、当該誓約をもって金銭の支払いを求め内定の辞退を妨害する行為は強制労働の禁止を規定した労働基準法5条に違反する。

添付書類等
1.〇年〇月〇日に違反者から請求を受けた研修費用の請求書の写し 1通

備考
特になし。

以上


なお、会社側に労働基準監督署に法律違反の申告をしたことを知られたくない場合は「備考」の欄に「本件申告をしたことが違反者に知れると更なる被害を受ける恐れがあるため違反者には申告者の氏名等を公表しないよう求める。」の一文を挿入してください。

(3)その他の対処法

上記のような方法で対処しても会社側が内定者研修の費用等の請求を止めない場合は、会社側が自身の請求によほどの自信があり研修費用の請求に係る誓約が労働基準法16条に違反しないという確固たる確信があるか、ただ単にブラック体質を有した法律に疎い会社かのどちらかである可能性が高いと思いますので、なるべく早めに法的な手段を取って対処する方がよいでしょう。

具体的には、労働局に紛争解決援助の申し立てを行ったり、自治体や労働委員会の”あっせん”の手続きを利用したり、弁護士会や司法書士会が主催するADRを利用したり、弁護士や司法書士に依頼して裁判を行うなどする必要があると思いますが、その場合の具体的な相談先はこちらのページでまとめていますので参考にしてください。

▶ 労働問題の解決に利用できる7つの相談場所とは