新卒者を雇用する企業では多くの場合4月1日に入社式を行うのが通例ですから、新卒で採用された新入社員の多くは4月1日から勤務を開始するのが普通だと思います。
しかし、ごくまれにその入社日が繰り下げられて採用が延期されるケースがあります。
たとえば、4月1日の入社式直前に発生した地震や大雨等の災害のために、あるいはウイルス等の感染拡大の影響で企業が休業したことで採用延期の措置がとられ入社日が数週間から数か月繰り下げられるようなケースです。
このような採用延期(入社時期の繰り下げ)が行われた場合、入社を予定していた新入社員は入社予定日から働くことができなくなります。
そうなれば当然、その間の賃金(給料)も受け取ることができなくなってしまいますので、生活に困窮してしまう新卒者も出てきてしまうでしょう。
では、このような採用延期(入社予定日・入社時期の繰り下げ)が行われた場合、会社から新入社員に対してその延期された期間の賃金(給料)または休業手当は支払われないでしょうか。
なお、この採用延期期間中の賃金や休業手当の支払いについては、会社の「休業」の場合の賃金や休業手当の支払いと基本的に考え方は同じですので、このページで不明な点は以下のページを参考にしてください。
採用延期(入社時期の繰り下げ)された期間中の「賃金(給料)」は支払われるか
この点、まずその採用延期(入社時期の繰り下げ)が行われた期間の「賃金(給料)」が支払われるか、逆に言えば採用延期(入社時期の繰り下げ)を受けた新入社員がその延期された期間の「賃金(給料)」の支払いを会社側に請求することができるかという点を検討しますが、その結論は採用延期がなされた事情によって異なりますので、以下それぞれの事情に分けて解説することにいたしましょう。
ア)採用延期がもっぱら会社側の都合で行われた場合
採用延期(入社時期の繰り下げ)が行われた理由がもっぱらその企業側の都合によるものである場合には、その企業は採用を延期した期間中の「賃金(給料)の全額」を入社予定者に対して支払わなければなりません。
なぜなら、民法536条2項が債権者の「責めに帰すべき事由」によって債務者が債務の履行をできなくなった場合であっても債務者に反対給付を受ける権利を認めているからです。
【民法第536条2項】
(債務者の危険負担等)
債権者の責めに帰すべき事由によって債務を履行することができなくなったときは、債務者は、反対給付を受ける権利を失わない。(後段省略)
採用内定の法的性質については解釈に争いがありますが、最高裁の判例(大日本印刷事件:最高裁昭54.7.20|裁判所判例検索)は採用内定を「入社予定日を就労開始日とする始期付きの解約権留保付き労働契約」であると判断していますので、採用企業側(個人事業主も含む)から採用内定を受け取った時点で求職者との間に有効に雇用契約が成立することになります(※参考→内定を一方的に取り消された場合の対処法)。
そうであれば、雇用契約(労働契約)も契約の一種である以上、民法の契約法の規定が適用されることになりますので契約関係の危険負担を規定した民法第536条も適用されることになりますが、この民法第536条2項を雇用契約(労働契約)に当てはめると
という文章になりますので、会社が何らかの事情で採用延期を決定した場合で、その理由がもっぱらその会社の都合による場合には、その会社は採用を延期した期間中の賃金(給料)の全額を入社予定者(新入社員)に対して支払わなければならないということになるわけです。
この点、具体的にどのような採用延期の事由が「会社の責めに帰すべき事由」になるのかという点が問題となりますが、会社の組織変更や営業上の事情(たとえば会社が組織再編をするために一定期間休業したり、事故でラインをストップしたり、生産調整のために一時的に休業するようなケース)など、その事情がもっぱら会社側にある場合には、「会社の責めに帰すべき事由」として賃金(給料)の全額の支払いが義務付けられるものと解されます。
ですから、そうした会社側に都合のある採用延期のケースでは、採用を延期された新入社員は延期された期間中に受け取るはずであった「賃金(給料)の全額」の支払いを会社に対して求めることができると考えて差し支えないでしょう。
イ)採用延期が会社側の都合によらない場合
採用延期の理由が会社側の都合によるものでない場合には「会社の責めに帰すべき事由」は「ない」と判断されますので、仮に採用延期がなされても採用が延期される新入社員は採用が延期された期間中の賃金(給料)の支払いを求めることはできません。
ですから、たとえば会社が原材料の不足で休業したり、交通機関の乱れで操業がストップしたり、監督官庁の命令で営業の停止を命じられたり、親会社の資金繰り悪化で事業を停止したなどのケースではその会社に帰責事由はないと考えられますので、たとえそうした事情を理由に採用の延期がなされたとしても、その延期された期間の「賃金(給料)」の支払いを求めることはできないものと思われます。
ウ)採用延期が天災事変など不可抗力によるものである場合
採用延期が天災事変など不可抗力を理由とするものであるケースでも「会社の責めに帰すべき事由」は「ない」と判断されますので、そうしたケースで採用延期がなされても採用を延期された新入社員は延期期間中の「賃金(給料)」の支払いを求めることはできないでしょう。
ですからたとえば、地震や台風、大雨や土砂崩れなどの直接的な被害を受けて会社が休業したり、ウイルス感染症の感染拡大で国や自治体から休業を指示されて会社が休業するようなケースで採用延期が行われた場合には、その延期された期間中の「賃金(給料)」の支払いを求めることはできないものと考えられます。
エ)天災事変など不可抗力が理由であっても採用延期が会社の都合で行われた場合
「ウ」で説明したように天災事変など不可抗力による採用延期の場合は会社側に帰責事由はないと判断されますが、天災事変など不可抗力を理由とする採用延期であっても、その採用延期がもっぱら会社側の都合により行われたケースでは「ア」と同じく「会社の責めに帰すべき事由」が「ある」ものとして会社に採用延期期間中の「賃金(給料)の全額」の支払いが義務付けられることになります。
たとえば、静岡県でホテルを経営する企業が関東で発生した大地震の直接的な被害を受けたわけではないものの旅行客が減少したため一時的に休業するようなケースでは、休業の事情が地震という不可抗力ではあるものの休業自体はもっぱら会社側の営業上の都合ということになりますので、その休業は「会社の責めに帰すべき事由」と判断されることになる結果、その休業によって採用延期を受けた新卒者は延期期間中の「賃金(給料)の全額」の支払いを求めることができるものと考えられます。
また、たとえばウイルス感染症の感染拡大によって休業することになり採用延期を行う場合であっても、その休業が国や自治体の法的根拠のある命令等によるものである場合には「会社の責めに帰すべき事由」は「ない」と判断されるので会社に賃金(給料)の支払い義務は発生しませんが、国や自治体から「任意の休業要請」が出されて会社が独自の判断で休業する場合にはその休業は「会社の責めに帰すべき事由」が「ある」と判断されることになりますので、それによって採用延期がなされた場合の賃金(給料)の全額の支払いが会社に義務付けられることになるものと考えられます。
ですから、ウイルス感染症の感染拡大を理由に政府が「新型○○ウイルス対策特措法」などに基づいて「○○ウイルス○○宣言」などを出し、法的な強制力をもって企業に一定期間の休業を義務付けたことで採用延期がなされた場合には、会社は採用延期を避けることが法的にできなくなりますので、それによって採用が延期された新入社員は採用延期期間中の賃金(給料)の支払いを求めることはできないでしょう。
一方、国や自治体から企業に対して休業を促す「○○ウイルス○○宣言」などが出された場合であっても、その「○○宣言」が法的根拠に基づくものではなく、単に政府や自治体が休業を要請するだけのもので休業するかしないかは企業側の判断に委ねられ強制力のないものである場合には、たとえその「○○宣言」によって企業が休業したとしてもそれは企業の独自の判断で休業するだけにすぎませんから「会社の責めに帰すべき事由」が「ある」と判断される結果、それによって生じた採用延期中の「賃金(給料)の全額」の支払いを求めることができるということになるでしょう。
採用延期(入社時期の繰り下げ)された期間中の「休業手当」は支払われるか
以上で説明したように、採用延期がもっぱら会社側の都合による場合(前述の「ア」)、また天災事変など不可抗力を理由にしていても採用延期がもっぱら会社側の営業上の判断による場合(前述の「エ」)には、採用を延期された新入社員はその延期期間中の「賃金(給料)の全額」の支払いを会社に対して請求することができますが、採用延期がもっぱら会社側の都合によらない場合(前述の「イ」)や天災事変など不可抗力を理由とする場合(前述の「ウ」)には延期期間中の「賃金(給料)」の支払いを求めることはできないということになります。
もっとも、この場合に疑問が生じるのが、仮に前述した「イ」や「ウ」の場合のように採用延期期間中の「賃金(給料)」の支払いを求めることができない場合であっても、「休業手当」の支払いを求めることができるのではないかという点です。
労働基準法は第26条で「平均賃金の6割」の「休業手当」の支払いを義務付けていますので、採用が延期された新入社員が前述した民法第536条2項の規定に基づいて「賃金(給料)」の支払いを求めることができない場合であっても、この労基法第26条を根拠に延期期間中の「休業手当」の支払いを求めることができる余地があると考えられるからです。
【労働基準法第26条】
(休業手当)
使用者の責に帰すべき事由による休業の場合においては、使用者は、休業期間中当該労働者に、その平均賃金の100分の60以上の手当を支払わなければならない。
A)採用延期が会社側の都合によらない場合
採用延期が会社側の都合によらない場合には、前述の「イ」で説明したように採用延期期間中の「賃金(給料)」の支払いを求めることはできません。採用延期が会社側の都合によらないケースでは、会社側に民法第536条2項の「責めに帰すべき事由」がないので同条の適用が排除されることになり、採用が延期した期間中に労務を提供していない新入社員はその期間の反対給付である賃金(給料)の支払い請求権を失うことになるからです。
もっとも採用延期が会社側の都合によらない場合であっても「休業手当」の支払いを求めることは可能です。
なぜなら、労働基準法第26条の「責めに帰すべき事由」は民法第536条2項の「責めに帰すべき事由」よりも広く解釈されるからです。
労働基準法第26条は「使用者の責に帰すべき事由」による休業の場合に「平均賃金の6割」の休業手当の支払いを義務付けていて、民法第536条2項でも同様に「債権者の責めに帰すべき事由」と規定されていますから、民法536条の「責めに帰すべき事由」に当たらない場合は労働基準法第26条の「責めに帰すべき事由」にも当たらないと解釈してしまいがちです。
しかし、労働基準法の第26条は使用者の都合によって生じた休業期間中の賃金の最低60%の支払いを「休業手当」として使用者に義務付けることで労働者の賃金を確保させ生活を安定させる趣旨で規定されたものですから、民法第536条2項で「会社の責めに帰すべき事由」が「ない」と判断されて賃金の支払い義務を免除された会社であっても労働基準法第26条の「責めに帰すべき事由」は「ある」と判断する取り扱いをする方が労働者保護の趣旨に合致します。
そのため、過去の最高裁の判例は、民法第536条2項の「使用者の責めに帰すべき事由」にならないような経営上の障害も天変地異等の不可抗力に該当しない限り、労働基準法第26条の「使用者の責めに帰すべき事由」には含まれると判示して労働者を保護しているのです(※菅野和夫著「労働法(第8版)」弘文堂232頁参照、参考判例→ノースウエスト航空事件:最高裁昭和62年7月17日|裁判所判例検索)。
ですから、前述の「イ」で説明したように、会社側の都合によらない事由によって採用延期が行われたため民法第536条2項の「責めに帰すべき事由」は「ない」と判断されて「賃金(給料)」の支払いを求めることができない場合でも、労働基準法第26条の「責めに帰すべき事由」は「ある」と判断されることで会社に対して「平均賃金の6割」の「休業手当」の支払いを求めることができるケースはあるものと考えられます。
この点、採用延期が会社側の都合によらない事案の中で、具体的にどのような事情があれば労働基準法第26条の「責めに帰すべき事由」が「ある」と判断されるのかという点が問題となりますが、上に説明したように過去の最高裁の判例は経営上の障害であっても天変地異等の不可抗力に該当しない限り労働基準法第26条の「責めに帰すべき事由」は「ある」と判断する傾向にありますので、天災事変その他の不可抗力に該当しない限り広く労働基準法第26条の「責めに帰すべき事由」は「ある」と判断されることになるものと考えられます。
ですからたとえば、前述の「イ」で説明したように、原材料の不足で休業したり、交通機関の乱れで操業がストップしたり、監督官庁の命令で営業の停止を命じられたり、親会社の資金繰り悪化で事業を停止したなどのケースでは民法第536条2項の「責めに帰すべき事由」は「ない」と判断されますが、これらのケースであっても労働基準法第26条の「責めに帰すべき事由」は「ある」と判断されることになりますので、これらの事情で採用延期が決定された場合には、新入社員はその延長期間の「平均賃金の6割」の「休業手当」の支払いを求めることはできるということになるでしょう。