騙されて提出した退職届を撤回または取り消しできるか?

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雇い主が従業員の削減を図るために従業員に対して「ウソ」の告知を行って退職に追い込むケースが稀に見られます。

たとえば、些細なミスや失敗を犯した従業員に懲戒解雇事由が存在しないにもかかわらず懲戒解雇をほのめかして「懲戒解雇されたら退職金が出ないよ」とか「懲戒解雇されたら次の就職が難しくなるよ」などと告知し労働者を精神的に追い込んで「懲戒解雇されるより自主退職で辞める方がまだマシ」と思いこませたり、別の地域に新規に出店する計画があるにもかかわらず既存の店舗を閉店すると告知して従業員に「閉店なら退職もやむを得ない」と思いこませて退職届(退職願)を提出させるようなケースです。

このようなケースでは、会社側としては人員削減のために従業員を退職させたいという本心があるわけですが、「解雇」という形を取ってしまうと不当解雇を理由に訴えられてしまうリスクがありますので、あえてそのリスクを回避することを目的にそのような「ウソ」を告知して労働者が自主的に退職の意思表示を行うように仕向けているものと想定されます。

しかし、このようなケースで退職を申し出た労働者は本心では退職したいとは思っていないはずですから、多くの場合それが「ウソ」と分かれば退職の意思表示を取り消したいと考えるのが通常です。

では、このように雇い主側から事実とは異なる「ウソ」の告知を受けて騙された状態で退職届(退職願)を提出し退職の意思表示をしてしまった場合、退職を申し出た労働者は退職の意思表示を取り消す(ないしは無効を主張する)ことはできるのでしょうか?

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会社に騙されて提出した退職届・退職願は取り消し(ないし無効)を主張できる

このように、懲戒解雇事由があるとか店舗を閉店するとか事実とは異なる「ウソ」を会社側が告知し、その「ウソ」を労働者が真実と誤解して労働者自身が退職届(退職願)を提出してしまうケースがあるわけですが、結論から言うとこのように会社側の嘘に騙されて提出した退職届(退職願)は労働者の側で取り消しまたは無効を主張することが可能です。

なぜなら、そのように騙されて行った退職の意思表示は「詐欺(民法96条)」による意思表示として取り消しが認められますし、仮に民法上の詐欺に当たらない場合であっても「錯誤(民法95条)」による意思表示として無効を主張することができると考えられるからです。

「詐欺」を理由として”取り消す”ことができる

「詐欺」というと他人からお金をだまし取る刑法上の「詐欺罪」を思い浮かべる人が多いと思いますが、刑法とは別に民法でも他人を騙して意思表示をさせるという意味での「詐欺」に関する規定が存在しています(民法96条1項)。

【民法96条1項】
詐欺又は強迫による意思表示は、取り消すことができる。

この民法上の「詐欺」とは、事実とは異なる嘘の告知を行って他人を欺罔に陥れてその他人に意思表示をさせることを意味しますが、そのような意思表示を行った相手方を保護するためにこの96条1項の規定を設けて事後的にその意思表示を取り消すことを認めているわけです。

この点、先ほど挙げたように、労働者に懲戒解雇事由が存在しないにもかかわらず、会社側が「懲戒解雇事由がある」と誤信させる内容の告知を労働者に行い、その嘘を信じた労働者が退職届(退職願)を提出したケースでは、その退職届(退職願)によって退職の意思表示を行った労働者は会社側の「詐欺」によって意思表示を行ったということが言えます。

また、別の場所に新規出店する予定があるにもかかわらず既存の店舗を閉店すると告知されたことによって労働者が退職もやむを得ないと考えて退職届(退職願)を提出してしまうようなケースでも、新規出店の事実を労働者が知っていれば労働者はその新規店舗に異動して働くことを希望するはずで退職の意思表示を行うことはなかったはずですから、そのようなケースでも労働者は会社側の「詐欺」によって退職の意思表示を行ったということが言えるでしょう。

ですから、このようなケースで退職届(退職願)を提出した労働者は民法96条1項の規定に基づいて「詐欺」を理由に取り消すことができるということになるのです。

「錯誤」を理由として”無効”を主張することができる

以上のように、会社側から嘘の告知を受けて欺罔に陥れられた状態で退職の意思表示をさせられたとしても「詐欺」を理由としてその退職の意思表示を取り消すことが可能ですが、仮に会社側に労働者を騙す意図がなく民法96条1項の「詐欺」に該当しない場合であったとしても、労働者の側からその退職の意思表示の「無効」を主張することは可能です。

なぜなら、「錯誤」を原因とした意思表示は民法95条で「無効」と判断されるからです。

【民法95条】
意思表示は、法律行為の要素に錯誤があったときは、無効とする。ただし、表意者に重大な過失があったときは、表意者は、自らその無効を主張することができない。

「錯誤」の法律的な意味を正確に説明すると長くなりますしそれを説明できるだけの知識がありませんのでここでは割愛しますが、ざっくり言うと「勘違い」で意思表示をしたような場合が「錯誤」にあたります(※ただし正確にいうと動機の錯誤の場合は明示または黙示の表示されることが必要など勘違いでも錯誤に当たらない場合もあります)。

この点、先ほど挙げた懲戒解雇事由に該当する事実がないにもかかわらず「ある」と誤解して退職の意思表示を行ったり、新規出店する店舗があることを知らずに「閉店するなら仕方ない」と考えて退職の意思表示を行った場合にも、労働者の側に「錯誤」があったということができますから、そのようなケースでは、仮に先ほど説明した「詐欺」に当てはまる事実関係がなかったとしても、この民法95条の「錯誤」を理由として退職届(退職願)の「無効」を主張することが可能といえます。

騙されて提出した退職届・退職願を「詐欺」または「錯誤」を理由に退職を取り消す(無効を主張する)方法

以上で説明したように、会社側から騙されて退職届(退職願)を提出するなど退職の意思表示を行った場合であっても民法96条1項の「詐欺取り消し」や民法95条の「錯誤無効」を主張して退職の意思表示を取り消すことは可能といえます。

この点、その「詐欺取り消し」や「錯誤無効」を主張して実際に退職の意思表示を取り消す具体的な方法が問題となりますが、口頭で「取り消します」とか「無効を主張します」などと告知した場合に後で会社側と争いになった場合「言った、言わない」の水掛け論になる可能性もあり危険です。

ですから、通常は通知書等の書面を作成し会社に差し入れることで取り消しや無効の主張をしておくことが必要と考えておいた方がよいでしょう。

なお、その場合に会社に差し入れる取消通知書や無効確認通知書の記載例は以下のような文面で差し支えないと思います。


○○株式会社

代表取締役 ○○ ○○ 殿

退職届取消(または無効)通知書

私は、〇年〇月〇日、貴社に対し、〇年〇月〇日付けで退職する旨記載した退職届を提出いたしました。

しかしながら当該退職届は、私に懲戒解雇事由が存在しないにもかかわらず、上司である◇◇(工場長)から「君の仕事上のミスは懲戒解雇事由に該当する」「懲戒解雇になれば退職金は支給されないから退職届を出して自主退職にしたほうがよい」と告知されたことから、懲戒解雇事由が存在するものと誤信して錯誤に陥ったうえで提出したものであり、その意思表示は貴社の詐欺によるもの(ないしは錯誤に基づくもの)でございます。

したがって、当該退職届による退職の意思表示は民法96条の詐欺によるもの、もしくは同条95条の錯誤にもとづくものとなりますから、当該退職届によって行った退職の意思表示は、本通知書によって取り消し(または無効を通知)いたします。

以上

〇年〇月〇日

〇県〇市〇町〇丁目〇番〇号○○マンション〇号室

○○ ○○ ㊞


「退職願」を提出した場合は記載例の「退職届」の部分を「退職願」に置き換えてください。
会社に送付する前に証拠として残すため必ずコピーを取っておくこと。

詐欺または錯誤による退職届・退職願の取消(無効)を会社が認めない場合の対処法

このように、会社側に騙されて提出した退職届(退職願)は詐欺(民法96条1項)を理由に取り消すことができますし、そうでなくても錯誤(民法95条)を理由に無効を主張できますから、たとえ事実と異なる告知を信じて退職届(退職願)を提出するなどして退職の意思表示をした場合であっても、その後に会社側の承諾なく一方的に取り消して(または無効を主張して)働き続けることができるというのが法律的な考え方となります。

もっとも、そうは言っても会社によってはそのような詐欺取消(民法96条1項)や錯誤無効(民法95条)の主張を無視して退職の意思表示がなされていることを根拠に退職の手続きを進めて労働者に退職を迫るケースが往々にしてあります。

そのようなケースでは具体的にどのように対処すればよいかという点が問題となりますが、一般的には労働局に紛争解決援助の申し立てを行ったり、自治体や労働委員会の”あっせん”の手続きを利用したり、弁護士会や司法書士会が主催するADRを利用したり、弁護士や司法書士に依頼して裁判を行うなどして、従業員としての地位確認や退職しなければ受け取ることができたであろう退職日以降の賃金その他の慰謝料請求など、具体的な権利実現のための手続きを取ったりして対処することが多いのではないかと思います。

その場合の具体的な相談先はこちらのページでまとめていますので参考にしてください。

▶ 労働問題の解決に利用できる7つの相談場所とは

なお、会社が真実を隠して労働者を騙した状態で退職届(退職願)を提出させるなどしたことを理由に労働者が詐欺取消や錯誤無効を主張しているにもかかわらずそれを無視して退職を強要しているような労働トラブルを労働基準監督署に相談して解決することができるかという点が問題となりますが、労働基準監督署は基本的に労働基準法に違反する使用者を監督する機関となりますので、民法に規定された詐欺取消(民法96条1項)や錯誤無効(民法95条)の問題に関しては労働監督署は具体的な対処を取らないものと考えられます。

(退職届(退職願)の詐欺取消や錯誤無効の主張を拒否して労働者に退職を迫る行為自体は労働基準法に違反する行為ではなくあくまでも一般法である民法の法解釈の問題となりますので、労働基準法違反を監督する労働基準監督署の管轄外の行為として監督署では相談を受け付けないと思われます)

ですから、この問題に関しては『労働問題の解決に利用できる7つの相談場所とは』のページで紹介した相談先のうち、労働基準監督署以外の機関への相談を検討する方がよいと思います。