これから就職しようとしている会社や既に勤務している会社から「退職後〇年間は同業他社に就職しない」旨の記載がなされた誓約書や合意書にサインを求められることがあります。
このような誓約(合意・同意)は「競業避止義務」に関する誓約と呼ばれますが、専門的な技術や技能を労働者に教育して業務を行う会社がその独自技術や技能の同業他社への流出を防ぐための手段として比較的多く使用されています。
しかし、労働者の立場からすればこのような誓約書への署名は不利益しか生じさせません。
一般的な労働者は自身が有する特定の技能や技術を使って就労しているのが通常で、仮に転職するに際しても現在と同じ技能や技術を利用できる会社、つまり「同業他社」に転職するのが普通だからです。
たとえば、電気製品の製造をしている会社で設計職として働いている労働者は電気製品の設計ができる他の会社に転職するのが普通ですし、トラックの運送会社で働いているドライバーも多くの場合はトラックの運転に従事できる会社に転職するのが普通でしょう。
このような「同業他社」への転職が禁止される競業避止義務に関する誓約書にサインさせられてしまえば、その労働者は事実上、退職して他の会社に転職する機会が妨げられてしまうことになりますので、このような誓約書(合意書・同意書)は労働者にとって不利益しか生じさせません。
では、このような労働者に不利益しか生じさせない「退職後〇年間は同業他社に転職しません」などという競業避止義務に関する誓約書は、そもそも有効なのでしょうか。
労働者にとって何のメリットもない「退職後〇年間は同業他社に就職しない」旨の誓約書(または合意書・同意書)の効力が問題となります。
「〇年間は同業他社に就職しない」旨の誓約は基本的に無効性を帯びる性質を持つもの
このように「退職後〇年間は同業他社に就職しない」というような競業避止義務に関する誓約は、労働者にとっては退職後の再就職を困難にするだけのものに過ぎませんのでその効力が問題となりますが、このような誓約は、それ自体が無効性を帯びるものと考えられます。
なぜなら、その「退職後〇年間は同業他社に就職しない」旨の制約自体が「職業選択の自由」を保障した憲法第22条に反する性質を含んでいるからです。
【日本国憲法第22条1項】
何人も、公共の福祉に反しない限り、居住、移転及び職業選択の自由を有する。
仮にこの「退職後〇年間は同業他社に就職しない」という誓約書の効力を無制限に認めてしまえば、その誓約に合意した労働者は退職後その〇年間は同業他社に就職する機会を喪失してしまうことになります。
それはすなわち、労働者から一定期間「職業選択の自由」を奪うことを許容することにつながりますから、「職業選択の自由」を保障した憲法22条の趣旨に反することになってしまうでしょう。
ですから、憲法22条で「職業選択の自由」が補償されていることから考えて、「退職後〇年間は同業他社に就職しない」旨の誓約は基本的には無効性を帯びるものと考えて差し支えないと言えるのです。
「退職後〇年間は同業他社に就職しない」旨の誓約書が有効となる場合もある
このように、会社が労働者に求める「退職後〇年間は同業他社に就職しない」旨の競業避止義務に関する誓約自体は憲法22条の「職業選択の自由」の点を考えれば無効性を帯びるものと考えられます。
もっとも、だからと言ってその「退職後〇年間は同業他社に就職しない」旨の誓約自体がすべて無効になるというわけではありません。
労働者が真に自由な意思をもってその「退職後〇年間は同業他社に就職しない」旨の誓約書に署名押印し、その誓約内容自体に合理性がある場合には、その競業避止義務に関する誓約の効力を認めても差し支えないからです。
「退職後〇年間は同業他社に就職しない」旨の誓約書が無効と判断される2つの要件
このように「退職後〇年間は同業他社に就職しない」旨の誓約書に労働者が自由な意思をもってサインしている場合には、その労働者の自由な意思も尊重しなければなりませんので、その「退職後〇年間は同業他社に就職しない」という競業避止義務に関する誓約の効力の有効性を認める必要もあります。
しかし、仮に労働者の自由な意思でその誓約書にサインしたことが認められる場合であっても、無条件にその「退職後〇年間は同業他社に就職しない」旨の誓約書の効力を有効と判断することはできません。
先ほども述べたように、その「退職後〇年間は同業他社に就職しない」旨の競業避止義務に関する誓約自体が憲法22条で保障された「職業選択の自由」を侵害する性質を持っているからです。
「労働契約の終了後については、労働者に職業選択の自由があるので、労働契約存続中のように一般的に競業避止義務を認めることはできず、当該措置の法的根拠と合理性を各問題ごとに吟味すべきこととなる。」
※出典:菅野和夫著「労働法(第8版)」弘文堂74頁より引用
この点、労働者が「退職後〇年間は同業他社に就職しない」の競業避止義務に関する誓約書にサインした事実がある場合であっても、具体的にどのような事情があればその承諾が「無効」と判断できるか、という点が問題となりますが、一般的には以下の(1)と(2)の要件のどちらか一方でも欠けているケースでは、その「退職後〇年間は同業他社に就職しない」旨の誓約は「無効」になると考えられます。
(1)労働者が「自由な意思」に基づいてサインしていない場合
「退職後〇年間は同業他社に転職しない」旨の誓約書に労働者が自らの意思でサインした事実があったとしても、労働者がその誓約書にサインした際に「自由な意思」をもってサインしていなかったようなケースでは、その誓約自体が「無効」になるものと考えられます。
この点、具体的にどのような事情があれば「自由な意思」をもって承諾の意思表示をしていなかったと認められるかはケースバイケースで判断するしかありませんが、一般的には、会社側と「対等な立場」でサインする機会が与えられなかったり、「強迫や欺罔」に基づいてサインをせまられたような場合には、その誓約は「自由な意思」によって承諾されたものではないと判断されるのが通常です。
(ア)労働者が「対等な立場」でサインできなかった場合
労働者が会社からの求めに応じて「退職後〇年間は同業他社に転職しない」旨の誓約書にサインした場合であっても、その際に会社と「対等な立場」でサインできなかったようなケースでは、その誓約は「無効」と判断して差し支えありません。
なぜなら、労働者が「対等な立場」でその誓約を承諾した事情が「ない」のであれば、その誓約に合意(同意)したという意思表示を労働者の自由な意思の表明と解釈することはできないからです(労働契約法第3条1項)。
【労働契約法第3条1項】
労働契約は、労働者及び使用者が対等の立場における合意に基づいて締結し、または変更すべきものとする。
先ほども説明したように「退職後〇年間は同業他社に転職しない」旨の誓約は憲法22条の「職業選択の自由」の保障を制限する性質を含むものと言えるのですから、労働者がその「職業選択の自由」を放棄するというのであれば、会社と「対等な立場」でその意思表示を行うことは最低限必要です。
「対等な立場」ではなく会社側が有利な立場に立って労働者にサインを命じたのであれば、たとえ労働者が自らの意思でサインしたとしても、その承諾は「労働者の自由な意思表示に基づくもの」とは言えないからです。
ですから、たとえば会社が労働者を「採用する際」にその誓約書にサインを迫ったというような状況があれば、労働者は「拒否すれば採用を受けられないかもしれない」と思うのが通常ですので、そのようなケースでは「対等な立場」とは言えないケースもあるかもしれません。
また、例えば昇進の条件としてそのような誓約書にサインを求められたようなケースでは労働者は「拒否すれば昇進できないかもしれない」と考えてサインしてしまうのが通常ですので、そのようなケースでも「対等な立場」とはならない可能性が高いと言えます。
これら以外にも、会議室で長時間にわたってサインを求められたり、拒否した場合の転勤や配置転換などの可能性を匂わせて署名を迫られたようなケースでも「対等な立場」があったとは言えない可能性が高いです。
もっとも、この「対等な立場で承諾がなされたか」という点はその事案ごとに個別に判断するしかありませんので、個別のケースごとに「対等な立場」で誓約に応じたかといった点を検討してみる必要があります。
(イ)労働者が「強迫」されたり「騙され」たりしてサインした場合
また、労働者が会社(経営者や役員、上司など)から強迫されたりだまされて「退職後〇年間は同業他社に転職しない」旨の誓約書にサインしたような場合も当然、「自由な意思」によって「職業選択の自由」を放棄したとは言えません。
ですから、強迫や欺罔によって誓約に承諾を与えたようなケースでもその「退職後〇年間は同業他社に転職しない」旨の誓約は「無効」と考えて差し支えないと思います。
(2)競業避止義務の範囲が必要かつ合理的な範囲を越える場合
労働者が「退職後〇年間は同業他社に転職しない」旨の誓約書にサインした場合であっても、その競業避止義務の範囲が「必要かつ合理的な範囲を超える」場合にも、その誓約は「無効」と判断されるのが通常です。
先ほども述べたように、「退職後〇年間は同業他社に転職しない」旨の誓約は憲法22条の「職業選択の自由」を制限するものとして無効性を帯びるのが基本ですから、その無効性のある誓約をあえて当事者間で有効にするというのであれば、その範囲も「必要な範囲」かつ「合理的な範囲」にとどまるべきだからです。
たとえ労働者が前述の(1)の(ア)や(イ)の要件をクリアして「自由な意思」でサインしたとしても、その「退職後〇年間は同業他社に転職しない」という競業避止義務の範囲が「必要な範囲」や「合理的な範囲」を超えてしまえば、その競業避止義務の合意に客観的合理性はないので、あえて「職業選択の自由」を放棄させなければならない理由が会社側に存在しないことになります。
そのためその競業避止義務の範囲が「必要かつ合理的な範囲を超える」場合にも、その誓約は「無効」と判断されることになるのです。
なお、この場合に具体的にどのような事情があればその競業避止義務の範囲が「必要かつ合理的な範囲を超える」と言えるかは個別の事案ごとに判断するしかありません。
もっとも、以下の①~⑥に当てはまる事情を総合的に判断してその競業避止義務の範囲が「必要かつ合理的な範囲を超える」と言えるケースであれば「退職後〇年間は同業他社に転職しない」旨の誓約は「無効」と判断されるものと解されます。
① 競業を禁止するための正当な目的と必要性があること
会社が労働者との間で「退職後〇年間は同業他社に就職しない」旨の誓約を合意する場合、その同業他社への就職を制限することについて「正当な目的」と「正当な必要性」がなければなりません。
会社側に正当な目的も必要性もないにもかかわらず労働者の職業選択の自由を制限することは人権保障の観点に鑑みて妥当とは言えないからです。
この点、「正当な目的」や「正当な必要性」の有無を具体的にどのように判断するかという点が問題となりますが、結論から言うとケースバイケースで判断するしかありません。
もっとも、専門的な独自技術や技能、営業ノウハウ等を用いることなく、同業他社でも一般的に用いられている技術や技能しか持ち合わせていない会社の場合は競業避止義務を設けて保護しなければならない会社の義務は存在しないと言えますので、そのような会社では競業避止義務の「目的や必要性」は否定されることになるでしょう。
また、会社の保有する利益ではない労働者個人の利益、たとえばその労働者個人が在職中に構築した人脈や社内で一般化されていないその労働者独自の営業ノウハウ等については、そもそもその会社に保護すべき利益はないので、そのような労働者の保有する技能やノウハウの同業他社への流出を防ぐために競業避止義務の誓約がなされているケースでも、その誓約は「正当な目的や必要性がない」と判断されることはあると言えます。
もっとも、最終的には事案ごとに判断するしかありませんので、個別の事案ごとにその競業避止義務に関する誓約に「正当な目的や必要性があるか」という点について弁護士等の専門家の助言を受けることも必要でしょう。
② 競業を禁止する期間が合理的期間を越える場合
「退職後〇年間は同業他社に転職しない」旨の誓約書に労働者が「自由な意思」に基づいてサインしていた場合であっても、その競業を禁止する期間が合理的な期間を超えている場合には、「競業避止義務の範囲が必要かつ合理的な範囲を超える」ものと判断できる可能性は高いと言えます。
競業禁止する期間が合理的な範囲を超えてまで同業他社に転職することを禁止しなければならない合理的な理由は会社側に存在しないので、そのような場合にまで労働者の「職業選択の自由」を制限することは、たとえ労働者の「自由な意思」があったとしても認めるべきではないからです。
具体的にどれぐらいの期間があれば「合理的な期間を超える」と判断できるかはケースバイケースで判断するしかありませんが、過去の裁判例では退職後に同業他社に勤務することを制限する期間が1年程度のものについては有効、2年を超えるものについては無効と判断する傾向にあります。
ですから、過去の裁判例の見解を参考にすると「退職後1年間は同業他社に就職しない」旨の誓約書に「自由な意思」でサインした場合はその無効を主張することは困難ですが、「退職後2年間は同業他社に転職しない」旨の誓約書にサインした場合にはその誓約を無効にできるケースもあるということが言えるでしょう。
もっとも、この期間は個別のケースで判断するしかありませんので、個別の事案ごとに弁護士に相談するなどした方がよいと思います。
③ 競業を禁止する地域が合理的範囲を超える場合
退職後の転職先企業の「地域」が合理的な範囲を超える場合にも、その誓約は無効と判断される可能性が高いと言えます。。
合理的な範囲を超える「地域」にある同業他社に就職することまで制限しなければならない合理的な理由は会社に存在しないので、その場合にまで労働者の「職業選択の自由」を制限することは、たとえ労働者の「自由な意思」があったとしても認めるべきではないからです。
ですから、たとえば関東の顧客にしか営業していない東京の会社の労働者が「退職後〇年間は同業他社に転職しない」という誓約書に「自由な意思」でサインしていたとしても、関西地方だけで営業している大阪の会社に就職する場合は、その誓約は効力を生じない(関東内での同業他社への就職を禁止する部分しか有効にならない)と判断できる可能性は高いと言えます。
ですから「退職後〇年間は同業他社に転職しない」旨の誓約書にサインしている事実がある場合は、実際に退職した後に就職しようとしている会社が従前の会社と地域的に競業しているのか、という点を検討することも必要となります。
④ 一般的な技能やノウハウしか習得していない場合
一般的な技能やノウハウしか習得していない労働者が「退職後〇年間は同業他社に転職しない」という誓約書に「自由な意思」で署名押印している場合もその誓約は「競業避止義務の範囲が「必要かつ合理的な範囲を超える」ものと扱われるのが通常です。
なぜなら、一般的な技能やノウハウしか習得していないなら同業他社に就職しても従前の会社には何ら不利益を生じさせないので、その場合にまで「職業選択の自由」を制限することは、たとえ労働者の「自由な意思」があったとしても認めるべきではないからです。
ですから、たとえば同業他社も普通に使用している技能や技術しか教えられていない労働者や、会社の内部情報に触れる機会がない一般社員などの場合には「退職後〇年間は同業他社に転職しない」旨の誓約書に「自由な意思」でサインしていたとしても、多くの場合「競業避止義務の範囲が必要かつ合理的な範囲を超える」ものとしてその制約自体が「無効」と判断される可能性が高いと言えます。
もっとも、この場合も事案によって個別に判断するしかありませんので、個別のケースごとに弁護士に相談するなどして「一般的な技能やノウハウしか習得していないか否か」という点を判断してもらうしかないかもしれません。
⑤ 退職前の地位(役職等)が競業を禁止すべき地位にない場合
退職前の地位(役職等)が退職後の競業会社への就職を禁止すべきものでない場合も、「退職後〇年間は同業他社に転職しない」という誓約は「競業避止義務の範囲が「必要かつ合理的な範囲を超える」ものと扱われるのが通常です。
会社が労働者の競業他社への就職を一定期間防ぐのは、その会社の独自技術や営業上のノウハウの流出を防止するのが主たる目的となりますが、退職前にそれなりの地位(役職等)が与えられていない労働者はそもそもその独自技術や営業上のノウハウに触れる機会がないので、そのような労働者の「職業選択の自由」を制限することは、たとえその労働者の「自由な意思」があったとしても認めるべきではないからです。
ですから、アルバイトやパート、契約社員などいわゆる非正規労働者だけに限らず、役職のない平社員や、役職はあってもいわゆる「名ばかり管理職」の場合は専門的な技術や技能に触れる機会は常識的に考えてないと考えられますので、極端にまれなケースでもない限り、たとえそのような誓約書にサインしていたとしても「競業避止義務の範囲が必要かつ合理的な範囲を超える」ものとして無効と判断して差し支えないものと考えられます。
ちなみに、過去の裁判例では「取締役」については競業を禁止する地位にあったと認めたものの「監査役」についてはその地位になかったとして「監査役」については退職後の競業会社への就職禁止の誓約を否定したものがあります (※参考→東京リーガルマインド事件:東京地裁平成7年10月16日)。
⑥ 競業禁止に代わる代償措置がなかった場合
以上の外にも、退職後の競業他社への就職を禁止する代償として補償等の措置がなされていない場合も「競業避止義務の範囲が必要かつ合理的な範囲を超えている」と判断さえる場合があります。
補償の種類は様々ですが、たとえば退職金の上乗せだったり、補償金として一時金を支払ったりするようなものが代表的です。
先ほども述べたように、「退職後〇年間は同業他社に転職しない」旨の競業他社への就職を禁止する制約は労働者の「職業選択の自由」を制限するもので無効性を帯びるのが原則ですから、その無効性のあるものをあえて有効として労働者に不利益を与えるのであれば、それ相応の補償があってしかるべきだからです。
ですから、たとえば「退職後〇年間は同業他社に転職しない」旨の誓約書に「自由な意思」でサインしていたとしても、その代わりに退職金の上乗せや補償金の支給が全くなされていなかったり、その支給があっても金額が常識的に考えて割に合わないようなケースでは、その誓約は「競業避止義務の範囲が必要かつ合理的な範囲を超える」ものとして「無効」と判断される可能性は高いと言えます。
「退職後は同業他社に勤務しない」旨の誓約は有効か無効か
以上で説明したように、仮に会社の求めに応じて「退職後〇年間は同業他社に転職しない」旨の誓約書に署名押印していたとしても、「自由な意思」をもってサインしていなかった場合(※前述した(1)の(ア)または(イ)に当てはまる場合)はその無効を主張できますし、仮に「自由な意思」でサインしていたとしても、「競業避止義務の範囲が必要かつ合理的な範囲を超える」ものと判断できる場合(※前述した(2)の①~⑥を総合的に判断してそう言える場合)にもまた、その誓約の無効を主張できるものと考えられます。
ですから、仮にそのような誓約書にサインしている場合であっても、退職後に競業他社への就職がすべてのケースにおいて制限されるわけではありませんので、個別のケースに応じて弁護士など専門家に相談することも検討してみる必要があると言えます。