採用した内定者を対象に、入社前研修(内定者研修)を実施する企業が比較的多くあります。
研修の内容は数日間の懇親会的なものから数か月間にわたる実務に直結した業務研修まで様々ですが、研修の内容や期間がどのようなものであろうと、その研修への出席が義務付けられ受講を強制させられるようなものである場合には、その入社前研修(内定者研修)は法的な問題を惹起させ得ると考えられます。
なぜなら、以下に示すように、出席が義務付けられ受講が強制される入社前研修(内定者研修)は少なくとも2つの点で違法性を帯びることになるといえるからです。
【1】入社前研修(内定者研修)への出席を強制する行為は労働基準法5条の「強制労働の禁止」に違反する
入社前研修(内定者研修)への出席が義務付けられ、その受講が強制させられる場合、その内定先企業は「強制労働の禁止」を規定した労働基準法5条に違反することになり得ます。
なぜなら、入社予定日が到来する「前」に実施される入社前研修(内定者研修)が強制させられる場合、その研修は内定先企業の「指揮命令下」において受講を強制させられる点で「就労」と変わりありませんが、それを強制できる法律上または契約上の根拠が企業側に存在しないと考えられるからです。
(ア)「採用内定」によって有効に労働契約(雇用契約)が成立する
「採用内定」の法廷性質には解釈に争いがありますが、最高裁の判例では「入社予定日を就労開始日とする始期付きの解約権留保付き労働契約」と解釈されています。
企業が内定者に対して「採用内定」を出した時点で内定者と企業との間に労働契約(雇用契約)が成立するのか、それとも「入社予定日」が到来しその会社の社員となった時点で労働契約(雇用契約)が成立するのか、という点について解釈に争いがあるわけですが、「入社予定日(※一般的には翌年の4月1日)」は単に「就労を開始する日」にすぎず、企業が「採用内定」を出した時点で有効に労働契約(雇用契約)が成立し、内定者に一定の不良行為(経歴詐称が発覚したり、犯罪行為で逮捕されたりするなど)が認められた場合に企業側でその採用内定を一方的に解約できる「解約権」が「留保」されていることになりますので、その「採用内定」によって結ばれる「労働契約(雇用契約)」は「解約権留保付きの労働契約」にあたることになります。
そのため「採用内定」は「入社予定日を就労開始日とする始期付きの解約権留保付き労働契約」と解釈される、というのが最高裁の判断として確定しているわけです。
このような最高裁の解釈を前提とすれば、「採用内定」が出された時点で「解約権」の「留保」があるとしても内定先企業と内定者の間に有効に労働契約(雇用契約)が成立していることになりますが、「入社予定日」が到来するまでの間は「就労開始日」が到来していないことになりますので、内定者には内定先企業の指揮命令に従って「就労を開始」しなければならない契約上の義務は存在しない、ということになります。
(イ)入社予定日が到来するまでの間は企業側に「教育訓練を行うことができる権利」が発生しない
ところで、内定先が入社前研修(内定者研修)への出席を強制し受講を義務付ける場合、その権限が何に由来するのかという点が問題となります。
この点、使用者が労働者に対して「教育訓練を行うことができる権利」は「使用者が労働契約によって取得する労働力の利用権」から派生されるもの(※菅野和夫著「労働法第八版」弘文堂404頁参照)と考えられていますので、内定先企業に「労働契約によって取得する労働力の利用権」が存在しているといえるのであれば「教育訓練を行うことができる権利」も派生して保有されと言えることになり、内定先企業が内定者に対して入社前研修(内定者研修)への出席を強制することも認められる、ということになります。
しかし、先ほどの(ア)でも述べたように、内定先企業が内定者に対して「採用内定」を出した場合、その時点で内定者との間に有効に労働契約(雇用契約)が成立することになりますが、その場合の「入社予定日」は「就労を開始する日」ということになりますので、「採用内定」が出されてから「入社予定日」が到来するまでの期間については「就労を開始」しなければならない義務は内定者に存在しないということにならざるを得ません。
そうすると、「採用内定」が出されてから「入社予定日」が到来するまでの期間については、内定先の企業は内定者に対して内定者の「労働力」を「利用する権利」が未だ生じていない状態にあるということになります。
内定先企業において「採用内定」を出してから「入社予定日」が到来するまでの期間に内定者に対する「労働力の利用権」が発生していないとなれば、その「労働力の利用権」があって初めて派生されることになる「教育訓練を行うことができる権利」も同様に、派生されないということになるでしょう。
この点、入社前研修(内定者研修)は内定者を「教育訓練」するために行うものと言えますから、「教育訓練を行うことができる権利」が派生されていないというのならば、内定先企業において内定者に入社前研修(内定者研修)への出席を強制できる権利もまた派生されていないということになります。
したがって、内定先企業が「採用内定」を出した後、「入社予定日」が到来するまでの期間に実施する入社前研修(内定者研修)については、内定先の企業は内定者に対して一切その出席を強制したり受講を義務付け得るような「法律上」ないし「契約上」の根拠を有していない、ということが言えます。
(ウ)強制参加の入社前研修(内定者研修)は「労働」と言える
このように、入社前研修(内定者研修)への出席を強制ないし義務付けている企業は、内定者に対して「法律上ないし契約上」の根拠なく「研修へ出席しろ!」と命令しているということになりますが、では、そのようにして出席を命じられた場合の「研修」は具体的にどのような性質もものになるのでしょうか?
すなわち、その出席を命じられた入社前研修(内定者研修)が「就労」に当たるのか、つまり、その研修を受けた時間は労働時間として賃金が発生する性質をもつものなのか、という点です。
この点、入社前研修(内定者研修)の時間が労働時間にあたるかという点を明確に判断した最高裁の判例はありませんが、実際に業務に従事していない準備時間や仮眠時間であっても使用者の「指揮命令下」に置かれている時間については全て「労働時間」に当たるものとして賃金が発生するという解釈が過去の最高裁の判例で確定しています。
このような解釈を前提とすると、内定先企業が実施する「研修」についても、それが内定者を「指揮命令下」に置くことになるのであれば、その研修は「就労」となり「労働時間」と解釈され賃金支払い義務が内定先企業に発生するものと考えることができます。
この点、入社前研修(内定者研修)への出席を強制し義務付けているというのであれば、それは当然その研修が行われている時間は内定先企業が内定者を「指揮命令下」に置くことになるでしょうから、入社前研修(内定者研修)に出席することは「労働(就労)」ということが言えます。
(エ)法律上ないし契約上の根拠なく就労を強制する行為は「強制労働」にあたる
以上の(ア)~(ウ)を踏まえると、入社前研修(内定者研修)への出席を強制し義務付けている企業は、「法律上ないし契約上」の根拠なく、「労働(就労)」にあたる研修をその「指揮命令下」において内定者に強制ないし義務付けているということになりますが、それはすなわち「法律上ないし契約上」の根拠なく、内定者に対して「就労」を強制しているということになります。
しかし、そもそもそのような強制労働は労働基準法5条で明確に禁じられている行為です。
使用者は、暴行、脅迫、監禁その他精神又は身体の自由を不当に拘束する手段によって、労働者の意思に反して労働を強制してはならない。
従って、入社前研修(内定者研修)への出席を強制し義務付けている内定先企業は労働基準法5条に違反しているということが言えます。
【2】無報酬で入社前研修(内定者研修)を受講させる行為は賃金の未払いを生じさせる
先ほどの【1】の(ウ)で説明したように、過去の最高裁の判例では使用者の「指揮命令下」に置かれている時間は全て労働時間として使用者に賃金支払い義務が発生するものと判断していますから、入社前研修(内定者研修)への出席が強制されないし義務付けられているというのであればそれは内定先企業の「指揮命令下」に置かれている時間ということができますので、参加が強制し義務付けている入社前研修(内定者研修)に出席した場合には、内定先企業に対してその研修期間中の賃金の支払いを求めることができるということになるでしょう。
しかし、入社前研修(内定者研修)を実施する企業で、研修に出席した内定者に賃金を支払っている企業はほとんどありません。
入社前研修(内定者研修)を実施する企業の真意は、本来は入社後に新人研修として実施すべき業務研修を、賃金を支払わなくて済むように「入社予定日前」に実施するところにありますから、入社前研修(内定者研修)を実施する企業が出席者に賃金を支払うことがないのはむしろ当然といえます。
そうすると、入社前研修(内定者研修)を実施している企業のほとんどは、本来は支払わなければならない賃金を支払わずに、内定者の”タダ働き”の名の下に研修を受けさせて即戦力になるまで実務を身につけさせているということなりますから、それはすなわち、内定者に「賃金の未払い」を強いているということになります。
この点、賃金の支払いについては、労働基準法24条1項でその全額を支払わなければならないと明確に定められていますから、結局は入社前研修(内定者研修)への出席を強制し義務付けている企業のほとんどは、労働基準法24条1項に違反して賃金の未払いを犯しているということになります。
賃金は、通貨で、直接労働者に、その全額を支払わなければならない。(以下省略)
入社前研修(内定者研修)への出席が仮に任意で自由参加であったとしても違法性を生じることには変わりない
以上で指摘したように、入社前研修(内定者研修)への出席が強制され義務付けられている企業は、「強制労働の禁止」や「賃金の未払い」という労働基準法違反行為を犯しているということが言えますが、仮にその入社前研修(内定者研修)への出席が「任意」で「自由参加」とされている場合であっても、同じような違法性を帯びることは認識しておく必要があります。
なぜなら、たとえ入社前研修(内定者研修)への出席が任意で自由参加とされている場合であっても、その企業への入社を予定している内定者にしてみれば、その研修を欠席することは容易ではないからです。
採用内定を受けた内定者が入社前研修(内定者研修)への出席を求められる時期は、すでに企業の採用活動が終了しているケースがほとんどですので、内定者にしてみれば内定先企業の心証を損ねて内定が取り消されることが一番の不安材料となります。
仮にその時期において内定を取り消されてしまえば、再び就職活動をすることは事実上困難であり、翌年に第二新卒として就職活動をやり直すか、故意に留年するしかないからです。
新卒採用が常態化している日本では、企業の採用活動が終了した後に内定取消を受けることは、人生を左右する大きな不利益となりますので、内定者は内定先企業から入社前研修(内定者研修)への参加を求められれば嫌とは言えません。
たとえそれが「任意」で「自由参加」であったとしても、欠席したことによって入社後の査定に響いたり、内定が取り消される危険性を考えれば、事実上欠席することは困難でしょう。
もちろん、企業の側もその点を考慮したうえで入社前研修(内定者研修)を実施しています。
入社前研修(内定者研修)への出席を「任意」として「自由参加」にしている企業も、そのように内定者が出席を拒否できない精神状態にあることを十分に考慮したうえで「任意」「自由参加」としているわけです。
ですから、そもそも入社前研修(内定者研修)を実施すること自体が道徳的に「悪」と言えます。
入社前研修(内定者研修)を実施する会社は、それが「強制」で「義務付け」ている会社だけでなく、たとえ「任意」で「自由参加」にしている企業であっても、結局は内定者の”タダ働き”の名の下に「研修」という名の就労を強制していることになるわけですから、入社前研修(内定者研修)を実施していること自体が「まともではない」と言えるのです。